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新日本文学の端緒
しんにほんぶんがくのたんしょ
作品ID2954
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日
初出「毎日新聞」1945(昭和20)年10月29日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-05-02 / 2014-09-17
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 満州事変以来今日までの十四年間に、旧日本の文学が崩壊しつくして行った過程は、日本文学史にとって未曾有のことであるばかりでなく、世界文学の眺望においても、駭くべき一事実ではないだろうか。
 戦時下、西欧の多くの国々が文化の混乱と貧困とに陥った。けれども、それは日本におけるように文学精神そのものの喪失ではなかったと思う。更に心をうたれるのは、日本文学のこの惨憺たる事実が、文学者自身の問題として十分自覚さえもされていないように見えることである。
 文学は本質において一つのたつきの道ではない。私たち総てが、この数年来経つつある酸苦と犠牲とを、新しい歴史の展開の前夜に起った大なる破産として理解し、同時にそれは生き抜くに価する苦難として照し出してゆく力こそ、悲劇においてなお高貴であり、人間らしい慰めと励ましとにみちている文学精神の本質ではないだろうか。
 誕生このかた不断の栄養失調のうちに辛うじて息づいて来た旧日本文学の精神は、全く非人間的な擅断と営利主義とによって導かれた自身の崩壊さえも、その事実の重大さにおいて自覚し得なかった。
 新しい文学創造の源泉は決して器用な便乗の手際には存在しない。世界文化の水平線の上に露わされている旧日本文化の後進性とその深い由来とをきわめつくし、その努力を足場として前進して行く明察と勇気との中にこそ新日本文学の端緒が期待されるのである。
〔一九四五年十月〕



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