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デスデモーナのハンカチーフ
デスデモーナのハンカチーフ |
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作品ID | 2985 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十三巻」 新日本出版社 1979(昭和54)年11月20日 |
初出 | 「女靴の跡」高島屋出版部、1948(昭和23)年2月 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2003-05-14 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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ルネッサンスという時代が、理性の目ざめのときであるけれども、その半面にはまだどんなに智慧のくらさを曳いていたかということはオセロにもつよくあらわれている。オセロの悲劇は美しくやさしいオセロの妻デスデモーナが、女として一枚のハンカチーフをどう扱ったかというところにかかっている。
エミール・ヤニングスが映画のオセロに扮したとき、彼はそのもち味で、黒人の英雄であるオセロの直情径行の素朴な人間性とデスデモーナへの情熱の面を強調した。シェクスピアは、オセロをもうすこし複雑に生かしている。黒人英雄の官能をつき動かす濃くあつい血の力のほかに。シェクスピアのオセロの心理には、黒人という生れあわせに対するオセロの白い皮膚のひとと等しい人間的尊厳の主張や自尊心やが作用している。美しいしとやかなデスデモーナが、父の許を訪ねて来て、その雄々しい物語をするオセロに心をひかれ、結婚する気分もルネッサンスらしい。また、植民地膨脹期のエリザベス朝の戯曲家シェクスピアが生きた時代のイギリス感情でもある。
オセロの黒檀のようなつややかなきつい人間美。デスデモーナの柔かく白い大理石のような美しさ。その二人の間に、オセロの愛のしるしとして一枚のきれいなハンカチーフが存在する。イヤゴーはオセロとデスデモーナの白と黒との異国的な調和の美が完成されたまますぎてゆくことに、焦だった刺戟を感じる。人間の苦しみ、まどいする姿を、いま幸福なこの夫婦の上に現出して、そこを眺めたのしみたくなって来る。デスデモーナのハンカチーフは、イヤゴーのその詭計の媒介物としてつかわれた。オセロの嫉妬をかきたてるために罪ふかい一枚の布きれとして利用される。デスデモーナはそのハンカチーフをぬすまれ、しかもそれを男にやったように、イヤゴーに仕組まれた。
デスデモーナが、ハンカチーフのなくなったことを心づいてからの心配は、はためにいじらしい限りである。このハンカチーフは、お互のまことのしるしとしてあげるのだからなくさないように、とオセロに云いわたされた、そのハンカチーフがなくなってしまった。デスデモーナは、閃くようにオセロの憤りを思った。その思いは、何事もないとき、甘美に耳を傾けていた良人たるオセロの武勇のつよさを連想させ、そこに自分に向ってぬかれる剣を感じ、デスデモーナは、愛と恐怖に分別を失った。きょうのわたしたち女性はデスデモーナのその恐怖やかくしだてを、全くあわれな、おろかしいルネッサンス婦人の卑屈さとして感じる。オセロがどんなにおころうとも、デスデモーナはどうして二人にとって大切なハンカチーフがぬすまれたことを気づいたときすぐオセロに云わなかったろう。一緒にさがして下さい。と、その胸にすがって訴えなかったろう。デスデモーナにはまた別の恐怖があった。オセロが、却ってそれで妻の貞潔を疑いはしないだろうか、と――
舞台の上に…