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なぜ、それはそうであったか
なぜ、それはそうであったか
作品ID2997
副題歴史・伝記について
れきし・でんきについて
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日
初出「伝記」1948(昭和23)年11月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-05-18 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私たちの日常生活でのものの考えかたの中には、随分現実よりおくれた型が、型としてはまりこんだまま残されていると思う。たとえば歴史というものの理解についても。――
 一般に歴史ときくと、まず昔のこと、と思う。歴史的といえば、昔より今までの間に起ったことで、社会的に人間的に一つの峰をなすような過去の事件という風に思う。歴史はいつもすぎたこととして感じとられ、今日という今の刻々が歴史そのものであり、しかも今の刻々には、過去のどの時代ともちがった条件で、人間の主動的な善意、熱意による変革を加えることのできるおどろくべき可能がひらかれているという事実が、割合実感されていないことは残念だと思う。
 いつの時代でも、最も人間らしいぴちぴちした理性と情感とをもった人々は、柔軟でつよいその意力で、歴史というものを、彼等の生きたその時代の今の上にとらえた。レオナルド・ダ・ヴィンチにしても、ヨハネス・ケプラーにしても、決して歴史を過去のものとして実感せず、自身の業績のうちを明日の発展へ向って流れる時の感覚として自覚していたと思う。もちろん、どんな偉大な能力をもつ人でも、それぞれの時代の限界を全くとび越えた生きようはできない。ケプラーのような真摯な天文学者でも、彼の生きた時代の権力と宗教とが暗愚であったこと、彼の母親が魔法つかいとして宗教裁判に附されようとしたりして、そのために時間を費し、精力を費してたたかわなければならなかった。けれども、魔法つかいといわれた年老いた母の救いかたにおいて、宗教裁判とのたたかいかたにおいて、ケプラーのとった方法は、全く近代の科学者らしく実証的であり、科学的でその上行動的であった。ケプラーの伝記「偉大なる夢」をよんだすべての人々は、この点を感銘深くうけとっただろうと思う。母のために宗教裁判所とたたかったケプラーの科学者としての客観的実証的な方法と、堅実果敢だった態度とは、ほんとに人類的な学者というものが、その学問にたって正しさを貫くことから、社会歴史の強力な推進者として歴史の上にあらわれるものであることを示している。
 レオナルド・ダ・ヴィンチは、いかにもルネッサンス開花期の人間才能の典型であった。当時の芸術科学の分野でほとんど万能に近かったと語られている。今日われわれの地球をとびまわっている航空機の発明もレオナルド・ダ・ヴィンチによって着手されていた。この事実は、歴史的に評価されている。だけれども、レオナルドが、彼のフロレンスの仕事部屋で、人間をのせて飛ぶことのできる機械について力学的な計算をし、製図し、製作しているとき、彼の胸には、どういう感想があったろう。ギリシア神話にあるイカルスの冒険を、科学の力で、人類のすべてにとっての冒険ならざる可能として実現してみようとする思いだけがあっただろう。人類の視界の拡大というひろやかな想像に動かされただろう。空…

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