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平和運動と文学者
へいわうんどうとぶんがくしゃ
作品ID2998
副題一九四八年十二月二十五日、新日本文学会主催「文芸講演会」における講演
せんきゅうひゃくよんじゅうはちねんじゅうにがつにじゅうごにち、しんにほんぶんがくかいしゅさい「ぶんげいこうえんかい」におけるこうえん
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日
初出「新日本文学」1949(昭和24)年7月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-05-18 / 2014-09-17
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は体を悪くして、去年の夏から、いろいろな講演をお断りしてまいりました。けれども今日は昨日と今朝の新聞を見まして、どうしても、一言皆さんと一緒に話して考えたいことがあったものですから、いわば少し無理をしてきているのです。大変失礼ですけれども腰掛けさせていただきます。
 今日、私どもが、自分達の生活を少しでも民主的にして、文学も人間らしい文学を作っていきたいと思っております時に、昨日や今日の新聞は私たちに何を感じさせたでしょうか。戦争が済んでからもう三年たち四年目になりつつありますが、その年の終りに極東裁判が終結しまして、そうして七人の首謀者達は処刑されました。一応それでもう日本のいままでの十数年間続いていた暗い、重い、人間らしくない、私どもの命も生活も文化も自分たちに確保されていなかった生活は終りがきたようにみえますけれども果してそうでしょうか。昨日と今朝の新聞を御覧になった皆さんに聞いてみたいと思います。あの新聞を御覧になった皆さん方は一九四九年という年がほんとうにはっきりと、より民主的な日本に進みつつあると期待おできになったでしょうか。私はそうは思わなかったのです。なぜかと申しますと、たとえば新聞は処刑された東條の葬式についてあれだけ、いわば華やかに写真を載せております。それから処刑された人の家族にいろいろの話を聞いてインターヴューしております。特に東條の家族はなんといっているでしょうか。「お父さんは死んだのではありません、生きたのです、なぜならば、彼は最後まで信念を守りましたから」といっております。それが、民主国たろうとする日本の新聞に出ていることにおどろかない人があるでしょうか。同じ新聞は、極東裁判においてその人の侵略戦争に対する謀略が有罪と判決され、処刑さるべき宣告をのせた。つい先頃のことだったのに、きのうは、日本のすべての新聞が戦争謀議責任者の家族のインターヴューをのせています。これはどういうことを意味するでしょうか。それは結局東條は死んだのではないということをいい得るだけの社会的基盤がまだあることを家族の人が知っているからです。ファシズムが死んでいないということを知っているからです。同時に今日の新聞はA級の容疑者が十九名釈放されたと伝えています。そして写真が出ました。あの写真を御覧になった皆さんは、ここにいらっしゃる方々は若い方が多いから、直接自分の体の上にお感じになっていないかもしれません。だけれども私はあの人達が何をしたかということをこの私の体の上に知っています。なぜかといえば、たとえば安倍源基という人は、日本の治安維持法による特高警察というものがつくられ、言論や出版の自由をすべて人民から奪って、十何年かの間戦争を遂行して参りましたその治安維持法改悪のたびに立身してきた人間です。安倍源基という人ははじめ警視庁の特高課長であり、その次は警視…

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