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屁
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作品ID | 3040 |
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著者 | 新美 南吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「牛をつないだ椿の木」 角川文庫、角川書店 1968(昭和43)年2月20日 |
初出 | 「哈爾賓日日新聞」1940(昭和15)年3月23日~3月30日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2001-09-04 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。春吉君は、そうかもしれないと思った。石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。
なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁こきである。いろいろな話が、是信さんの屁について、おとなたちや子どもたちのあいだに伝えられている。是信さんは、屁で引導をわたすという。まさかそんなことはあるまいが、すいこ屁(音なしの屁)ぐらいは、お経の最中にするかもしれない。
また、ある家の法会で鐘をたたくかわりに、屁をひってお経をあげたという。これも、おとながおもしろ半分につくったうそらしい。だが、これだけはたしかだ。是信さんは、正午の梵鐘をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶっぱなすことができるということである。春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。
石太郎が是信さんの屁弟子であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている是信さんと、石太郎のすがたを想像させた。茶色のはん点がいっぱいある、赤みがかったつやのよい頭を日に光らせ、洗いふるしたねずみ色の着物の背をまるくしている、年よりの是信さん。顔のわりあいに耳がばかに大きい、まるでふたつのうちわを頭の両側につけているように見える、きたない着物の、手足があかじみた石太郎。
きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくり返しながら、屁の修業をつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。
石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、大きいのをひとつたのむと、ちょっと胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほがらかに大きい屁をひる。小さいのをたのめば、小さいのを連発する。にわとりがときをつくるような音を出すこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむずかしいとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり――つまり、調子をとりながら出すのである。そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいしてやる。
しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくらったような顔をしている。その他、とうふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた名まえは、十の指にあまるくらいだ。
石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべつしていた。下級生でさえも、あいつ屁えこき虫と、公然指さしてわらった。それを聞いても、石太郎の同級生たちは、同級生としての義憤を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を感じるなんか、おかしいことだったのである。
石太郎の家は、小さくてみすぼらしい。一歩中にはいると、一種異様なにおいが鼻をつき、へどが出そうになる。そして、暗いので家の中はよく見えない。石太郎は、病気でねたっきりのじいさん…