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アリア人の孤独
アリアじんのこどく |
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作品ID | 3056 |
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著者 | 松永 延造 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「現代日本文學大系 91 現代名作集(一)」 筑摩書房 1973(昭和48)年3月5日 |
初出 | 「不同調」1926(大正15)年2月 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2002-10-02 / 2019-01-19 |
長さの目安 | 約 15 ページ(500字/頁で計算) |
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一
私が未だ十九歳の頃であつた。
私の生家から橋一つ越えた、すぐ向うの、山下町××番館を陰気な住居として、印度人〈アリア族〉の若者、ウラスマル氏が極く孤独な生活をいとなんでゐたと云ふ事に先づ話の糸口を見出さねばならない。彼れが絹布の貿易にたづさはつてゐる小商人だと云ふ事を私は屡ば聞いて知つてゐたが、然も、彼れの住居には何一つ商品らしいものなぞは積まれてゐなかつたし、それに、日曜以外の日でも、丁度浮浪者の如く彼れが少しも動かない眼に遠い空を見つめつつ、横浜公園の中を静かな足取りで、散歩してゐる所なぞを私は時々見かけたりしたので、そのため、段々と彼れについて次のやうな独断を下すやうになつた――
「彼れが少くとも一商人であると云ふ事は、彼れの為替相場に関する豊富な知識なぞに照しても、充分推定し得る。然し彼れは今や恐らく破産して了つたのだ。」
私にそんな独断を敢へてなさしめた、もう一つ他の理由はと云へば、それは斯うである。
彼れはその以前迄、一人だけであの旧風な煉瓦造りの××番館全体を使用してゐたが、間もなく、建築物の大部分をシャンダーラムと呼ばるるアリヤンの一家族へ又貸しをして了ひ、自分は北隅に位置をしめた十二畳程もある湯殿へと椅子や寝台を移し、そこで日夜を過ごす事に充分な満足を感じてゐたのである。
元来××番館はその始めアメリカの娼婦が住んでゐた建物なので、他の何んな室よりも湯殿が立派な構造を示してゐた。それは湯殿と云ふ名で呼ばれ乍ら、然も、半分は客間に適するやうな設計の下に造られたものであることが確かだつた。
先づ、其処へ這入つて行くと、灰白色の化粧煉瓦の如きもので腰を巻かれた、暗い水色の壁が私の眼を打つた。天井はエナメル塗りの打ち出しブリキ板で張られ、床は質の好い瀬戸物で敷きつめられてゐた。東の隅には古びた上流しが附いてゐた。昔は其処に洗面のための設備が全部ととのつてゐたのであらうが、今では、其処が水で濡れる機会もなく、ウラスマル君の書見台に代用されてゐたのであつた。
この室の小さい窓は外部から覗き込まれぬため、非常な高所に開かれてゐた。それで、私が庭から窓へ向つて、
「ウラスマル君……」と呼ぶと、彼れは穴の底から湧き出して来るやうな沈んだ声で斯う答へた――
「ウエタミニ。今、踏み台へ乗るから。」間もなく、窓の扉が動き、そして眉毛と眼との間の恐ろしく暗い彼れの顔が其処へ表れるのだつた。
或る闇の夜、私は又しても、庭づたひに、この小窓をさして歩み寄つて行つた。そして、思ひがけぬ一つの状景を発見した時に、進まうとする足を急いでひかへる必要を感じたのだつた。
見ると、若きウラスマル君の太い右腕が例の高い小窓から静かに突出してゐた――いや、そればかりでなく、その手は非常に古風な手下げラムプをしつかりと握つて、虚空へ垂れ下げてゐるのであつた。豆ラム…