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マリア・バシュキルツェフの日記
マリア・バシュキルツェフのにっき
作品ID3093
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「新女苑」1937(昭和12)年7月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-09 / 2014-09-17
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 暑い日に、愛らしく溌剌とした若い娘たちが樹かげにかたまって立って、しきりに何か飲みたがっている。ああ、これはどうかしらんといって、樹かげの見捨てられた古屋台の中から、すっかり気がぬけて、腐っている色付ミカン水の瓶をひっぱり出して来て、それを分けて飲もうとしているとき、もし、傍に人がいて、五六間先の岩の間に本当の清水がこんこんと湧き出しているのを知っているとしたら、その人は娘さんたちに向って何というだろう。一寸一寸、そんなくさったまがいものはおやめなさいよ。そこに清水があるのよ。そこへ口をつけてたっぷり喉のかわきをおなおしなさい。そういわずにはいられないにきまっている。
 私はこの間「恋人の日記」という映画を見て、全くそういう心持から、声が出そうになった。ああ皆さん、これは、随分こしらえものだし、まがいものです。本当の「マリア・バシュキルツェフの日記」はここにあります。これこそ、かえりみるべき価値をもっている。若い女性の生活を何かの意味で教え豊かにするものを含んでいる。容赦のない現実を生きた痛切な一少女の吐露があります。
 ヘルマン・コステルリッツという映画監督も、脚色者ヨアキムソンも、「恋人の日記」では、弁解の余地のない芸術家としての低さを示している。彼らは、「マリア・バシュキルツェフの日記」に目をとおしながら、一人の女としてのマリアは全然理解しなかった。驚くべき芸術的才能をもって僅か二十四歳で死んだロシアの貴族の娘マリアの、独特な色の焔のようであった性格の美しさ、面白さ、苦悩の真実さ、矛盾の率直さが、まるでつかまれていない。つまり人及び芸術家が魅力を感じるべき点がことごとくゆがめられて通俗なロマンスとなっているのである。
 例えばマリアが病気になっている。しかも大変わるくなっている。それを知っているのは、彼女を魂から愛している老家庭医のワリツキイ博士だけであるように映画では説明されていて、そこで観客の眼に涙を誘う道具だてがされているのだが、実際の生活の中でマリアは、自分の病気がわるくなるより四年も前に、この「天使のような」ワリツキイ、生きていたら、どんなにか彼女の最後の力となったであろうワリツキイに死なれている。マリアの肺が両方とも腐りはじめていることを知っていたのは、本当はマリア自身だけなのであった。それから、彼女の身のまわりを世話していたロザリイという召使と。ついにマリアが立てなくなるまで、二人のほかには母さえもマリアがそんな重い病にとりつかれていたとは知らなかった。マリアは、絵の仕事がしたい。その為に、病気を知れば母がスケッチのための外出さえやめさせるであろう。すっかり病人扱いにし、涙でぬらし甘やかすだろう。それではマリアとして、どうせ短かい自分の命の価値を、自分が満足するようにつかうことさえできなくなる。それで病をかくした。その上、花のような容貌…

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