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フロレンス・ナイチンゲールの生涯
フロレンス・ナイチンゲールのしょうがい
作品ID3110
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「婦人朝日」1940(昭和15)年4月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-15 / 2014-09-17
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 慈悲の女神、天使として、フロレンス・ナイチンゲールは生きているうちから、なかば伝説につつまれた存在であった。後代になれば聖女めいた色彩は一層濃くされて、天上のものが人間界の呻吟のなかへあまくだった姿のように語られ描かれているが、フロレンス・ナイチンゲールの永い現実の生活は、はたしてそんな慈悲の香炉から立ちのぼる匂いのようなものであったろうか。人間のために何事かをなし得た人々は、今も昔もきわめて人間らしさの激しくきつい人々、その情熱も智力も意志もひとしおつよい人々ではなかったのだろうか。

 フロレンス・ナイチンゲールは一八二〇年イギリスの由緒ある上流の娘として誕生した。一八二〇年といえば日本では徳川時代の文政三年、一茶だの塙保己一だのという人が活躍した時代、イギリスは植民地インドからの富でますます豊かになりながら、一方にうめることのできない貧富の差を示して来たヴィクトーリア女皇の時代である。
 少女としてのフロレンスの明け暮れは、上流家庭の娘たちがみなそうであったように立派な家庭教師についてフランス語、ラテン語などの語学を勉強したり、音楽、舞踊、絵画、手芸などをはじめ、若い貴婦人として社交界に出たとき、狩猟の折にこまらないようにと乗馬などまで、規則正しく仕込まれていたに相違ない。小さいこの上流の令嬢が、あるとき一匹の犬が負傷しているのを見て大層可哀そうがって、折からそこにいあわせた牧師を大人のように命令して手伝わせながら、その傷の手当をし、副木をつけてやるまでは満足しなかったというエピソードが、生れながら慈悲の女神であったフロレンスの逸話のようにつたえられている。が、この插話がもし実際あったことなら、本当の面白さは後から粉飾された小天使めいた解釈とは別のところにあると思われる。小さい犬を可哀そうがる心は、子供にとって普通といえる自然の感情だけれども、その感情を徹底的に表現して、犬の脚に副木をつけるまでやらなければ承知できなかったフロレンスの実際的で、行動的な性質こそ、彼女の生涯を左右した一つの大特色であったと思う。そして又、その小さい少女の彼女が、牧師を終りまで手つだわせねばおかなかった独特の人を支配してゆく力、それもやはりこの婦人の生涯をつらぬいた特徴ある一つの天稟であった。
 ロンドンの住居は、当時社交界のよりぬきの人々が住んでいたメイフェアにあった。ダービーシアに別邸があり、次第に若い令嬢として成長して来たフロレンスの生活は、子供部屋から客間へ、舞踏の広間へと移って行った。どこか気性に独創的なところのある、富裕な教養たかいこの令嬢のまわりには、当然崇拝者の何人かが動いていたろうしまたどこの社会でも共通なように、彼女の両親の社会的な地位により多くの魅惑を感じている青年やその親たちが、月並のお世辞で彼女をとりまいてもいたであろう。だが、フロレンスの両親は…

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