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その先の問題
そのさきのもんだい
作品ID3121
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出不詳
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-18 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 どんなひとも、贅沢がいいことだと思っていないし、この数年間のように多数の人々が刻苦して暮しているのに、一部の人ばかりがますます金銭を湯水のようにつかう有様を目撃していれば、いい気持のしないのは自然だと思う。今度の贅沢品禁止が、めずらしい人気で一般に迎えられたのも、この心理に即した面があったからだったと考えられる。贅沢をして暮すことなんかできない人々は、日頃贅沢をしてそれが自分たち人種の優越のしるしででもあるかのように振舞っていた人々が今度の禁止で、バカ贅沢ができなくなったことに一味の清涼を感じたのであった。
 若い女のひと、まじめに働いている若い女のひとたちの心持に、今度の禁止が、そりゃそうだわねえ、と同感を生んだのは当然であろう。
 だが、しずかに考えてみると、現代の日本らしいその感情も、いろいろに落付いてかみわけられなければならないことがわかってくる。第一は三百円の月収を標準として立てられた物の価の限界が、はたして私たちの現実生活にどんな実際のかかわりをもって作用してくるだろうか。ここに五十円月給をとっている娘さんがあるとして、その娘さんはおそらく決して二十円の草履は買わないだろうと思われる。大奮発で五円の草履を買う。五円の草履は贅沢品ではない実用品だけれど、その五円の草履の実質は、どんなにもちのよいしっかりしたものだろうか。二十円以上の草履をこしらえてはいけなくなったために、草履屋は五円の品物を前よりはましにこしらえるというようなことがあり得るだろうか。上へ上へと吊り上げられて行ったものが、禁止で、下へ下って一般生活の質の向上としてひろがって来るかといえば、どうもそういうことには行かなそうである。やすいもの、皆が買うもの、やっぱりこの価ではこれ位のものか、という状態に止まるらしい。そうだとすると、贅沢品禁止で何となく胸がスーとした感情は、そういう感情を味わったというやがて忘れられてゆく一つの経験にとどまっているだけで、多数の若い女のひとたちの生活は実質的に変ったところはないことになる。わずかに、自分のできない贅沢は、ほかのひとももう大ッぴらにはやれなくなったのだ、という淡い快感があるばかりなのである。
 自分で働き、自分の汗の価を知っている若い娘さんにとって、この一種の社会的な快感は誇りにも通じるところがあるだろうとも思われる。けれども、本当に聰明な娘たちは、そのぼんやりした快感や裏づけられた誇りに、何か安心ならぬものがひそんでいることを感じとっているにちがいない。
 病気しているひとが、ひとも病気になったときいて、気の毒がりながら何となし自分だけではないという気休めを感じることがある。その心理は、無理ないことかもしれないけれども、さらに心の高い人だったらおそらく、それをきいて小さい気休めを感じるより強く深い真心で、それはいけない、一日も早くなおって…

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