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漁村の婦人の生活
ぎょそんのふじんのせいかつ
作品ID3129
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「漁村」1941(昭和16)年1月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-21 / 2014-09-17
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 随分昔のことであるけれども、房州の白浜へ行って海女のひとたちが海へ潜って働くのや天草とりに働く姿を見たことがあった。
 あの辺の海は濤がきつく高くうちよせて巖にぶつかってとび散る飛沫を身に浴びながら歌をうたうと、その声は濤の轟きに消されて自分の耳にさえよくきこえない。雄大な外洋に向って野島ケ崎の燈台が高く立っている下の浜辺にところどころ燃き火をして、あがって来た海女のひとたちのひとむれが体を温めたりしていた。燃き火のまわりで、子供におっぱいをやっているひともあったりして、そのきっちりと手拭でくくられた頭の上に大きい水中眼鏡がのっている。天草とりの日の浜じゅうの大さわぎや、大きい天草のたばをかついで体を二つに曲げて運んでいる女の活動も、思い出されて来る。
 湘南あたりの浜で、漁船が出てゆくときまたかえって来たとき、子供もいれてそのまわりに働く女の様子も印象にきざまれている。
 ヤアヤアというような懸声で舟のまわりにとりついてそれを押し出してゆくときの海辺の妻や娘たちの声々。それからまた西日が波にきらめいているような時刻、黙って一生懸命な顔で、かえって来た舟を海から陸の砂へ引き上げようと力を出して働いているときの女たちの姿。
 何しろ対手がひろい海、力のつよい海だから海辺の女の動きも大きくて活溌で、農村の女の身ごなしとはまるでちがう逞しさが感じられるのである。
 けれども、海に働く人々の妻や母や娘たちは、ひととおりでない心配や悲しみにもおかれていると思う。自然の力に対して戦ってゆかなければならないことは、農村のひとも海のひとも同じだけれど、そこに働く人が毎日さらされている命の危険は、海と農村とではくらべものにならないだろう。西洋でもそれは同で、漁夫の家庭のめぐり会う悲しみを描いた名画や、それでも海の子はやっぱり海へとひかれてゆく物語には、いくつも立派なものがある。
 海に働く良人や父をもつ女の生活は、そのように農家の女の余り知らない心づかいをその底にもって営まれている上に、経済の点でも決して楽だとは云えないだろうと考える。私は残念ながら、詳しく漁家の経済のくみたてられかたを知らないのだが、はたで見ていても地引が空なときの寂しさは、何とも云えない。漁家の収入と云えば、不規則なものときまっているらしいが、現在では一般にどんな改良が加えられているのだろうか。
 自分たちは直接海へのり出して行かないで、その結果だけ待っていて家計をやりくってゆく漁村の女の暮しが楽でないことは、大正八年に米の価が途方もなくあがったとき第一番にそれに反対したのが富山県の漁夫のおかみさん達であったことからも判断出来る。
 この三四年来は、さぞ漁村からも働き盛りの男たちが留守になっているのだろうが、あとの稼業や生計はどんな工合に営まれているだろうかと考えられる。農家では、女と子供の働きが非常に…

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