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列車
れっしゃ
作品ID313
著者太宰 治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集2」 筑摩書房
1998(平成10)年5月25日
初出「サンデー東奧 二〇三号」1933(昭和8)年2月19日
入力者赤木孝之
校正者田尻幹二
公開 / 更新1999-05-31 / 2016-02-23
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一九二五年に梅鉢工場といふ所でこしらへられたC五一型のその機關車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寢臺車、各々一輛づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざつと二百名からの旅客と十萬を越える通信とそれにまつはる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走つた。時に依つて萬歳の叫喚で送られたり、手巾で名殘を惜まれたり、または嗚咽でもつて不吉な餞を受けるのである。列車番號は一〇三。
 番號からして氣持が惡い。一九二五年からいままで、八年も經つてゐるが、その間にこの列車は幾萬人の愛情を引き裂いたことか。げんに私が此の列車のため、ひどくからい目に遭はされた。
 つい昨年の冬、汐田がテツさんを國元へ送りかへした時のことである。
 テツさんと汐田とは同じ郷里で幼いときからの仲らしく、私も汐田と高等學校の寮でひとつ室に寢起してゐた關係から、折にふれてはこの戀愛を物語られた。テツさんは貧しい育ちの娘であるから、少々内福な汐田の家では二人の結婚は不承知であつて、それゆゑ汐田は彼の父親と、いくたびとなく烈しい口論をした。その最初の喧嘩の際、汐田は卒倒せん許りに興奮して、しまひに、滴々と鼻血を流したのであるが、そのやうな愚直な[#挿絵]話さへ、年若い私の胸を異樣に轟かせたものだ。
 そのうちに私も汐田も高等學校を出て、一緒に東京の大學へはひつた。それから三年經つてゐる。この期間は、私にとつては困難なとしつきであつたけれども、汐田にはそんなことがなかつたらしく、毎日をのうのうと暮してゐたやうであつた。私の最初間借してゐた家が大學のぢき近くにあつたので、汐田は入學當時こそほんの二三囘そこへ寄つて呉れたが、環境も思想も音を立てつつ離叛して行つてゐる二人には、以前のやうなわけへだて無い友情はとても望めなかつたのだ。私のひがみからかも知れないが、あのとき若し、テツさんの上京さへなかつたなら、汐田はきつと永久に私から遠のいて了ふつもりであつたらしい。
 汐田は私とむつまじい交渉を絶つてから三年目の冬に、突然、私の郊外の家を訪れてテツさんの上京を告げたのである。テツさんは汐田の卒業を待ち兼ねて、ひとりで東京へ逃げて來たのであつた。
 そのころには私も或る無學な田舍女と結婚してゐたし、いまさら汐田のその出來事に胸をときめかすやうな、そんな若やいだ氣持を次第にうしなひかけてゐた矢先であつたから、汐田のだしぬけな來訪に幾分まごつきはしたが、彼のその訪問の低意を見拔く事を忘れなかつた。そんな一少女の出奔を知己の間に言ひふらすことが、彼の自尊心をどんなに滿足させたか。私は彼の有頂天を不愉快に感じ、彼のテツさんに對する眞實を疑ひさへした。私のこの疑惑は無殘にも的中してゐた。彼は私にひと…

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