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律子と貞子
りつことさだこ
作品ID314
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集5」 ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年1月31日
入力者柴田卓治
校正者高橋真也
公開 / 更新2000-04-01 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大学生、三浦憲治君は、ことしの十二月に大学を卒業し、卒業と同時に故郷へ帰り、徴兵検査を受けた。極度の近視眼のため、丙種でした、恥ずかしい気がします、と私の家へ遊びに来て報告した。
「田舎の中学校の先生をします。結婚するかも知れません。」
「もう、きまっているのか。」
「ええ。中学校のほうは、きまっているのです。」
「結婚のほうは、自信無しか。極度の近視眼は結婚のほうにも差支えるか。」
「まさか。」三浦君は苦笑して、次のような羨やむべき艶聞を語った。艶聞というものは、語るほうは楽しそうだが、聞くほうは、それほど楽しくないものである。私も我慢して聞いたのだから、読者も、しばらく我慢して聞いてやって下さい。
 どっちにしたらいいか、迷っているというのである。姉と妹、一長一短で、どうも決心がつきません、というのだから贅沢な話だ。聞きたくもない話である。
 三浦君の故郷は、甲府市である。甲府からバスに乗って御坂峠を越え、河口湖の岸を通り、船津を過ぎると、下吉田町という細長い山陰の町に着く。この町はずれに、どっしりした古い旅籠がある。問題の姉妹は、その旅館のお嬢さんである。姉は二十二、妹は十九。ともに甲府の女学校を卒業している。下吉田町の娘さん達は、たいてい谷村か大月の女学校へはいる。地理的に近いからだ。甲府は遠いので通学には困難である。けれども、町の所謂ものもちは、そのお嬢さん達を甲府市の女学校にいれたがる。理由のない見識であるが、すこしでも大きい学校に子供をいれるという事は、所謂ものもちにとっては、一つの義務にさえなっているようである。姉も妹も、甲府女学校に在学中は、甲府市の大きい酒屋に寄宿して、そこから毎日、学校に通った。その酒屋さんと、姉妹の家とは、遠縁である。血のつながりは無い。すなわち三浦酒造店である。三浦君の生家である。
 三浦君にも妹がひとりある。きょうだいは、それだけである。その妹さんは、二十。下吉田の姉妹と似た年である。だから三人姉妹のように親しかった。三人とも、三浦君を「兄ちゃん」と呼んでいた。まず、今までは、そんな間柄なのだ。
 三浦君は、ことしの十二月、大学を卒業して、すぐに故郷へ帰り徴兵検査を受けたが、極度の近視眼のために、不覚にも丙種であった。すると、下吉田の妹娘から、なぐさめの手紙が来た。あまり文章が、うまくなかったそうである。センチメンタル過ぎて、あまくて、三浦君は少し閉口したそうである。けれども、その手紙を読んで、下吉田の姉妹を、ちょっと懐しく思ったそうである。丙種で、三浦君は少からず腐っていた矢先でもあったし、気晴しに下吉田のその遠縁の旅館に、遊びに行こうと思い立った。
 姉は律子。妹は貞子。之は、いずれも仮名である。本当の名前は、もっと立派なのだが、それを書いては、三浦君も困るだろうし、姉妹にも迷惑をかけるような事になるといけな…

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