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作品ID3157
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「社会評論」1935(昭和10)年3月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-30 / 2014-09-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大阪の実業家で、もう十四五年も妻と別居し別の家庭を営んでいる増田というひとの娘富美子が大金をもって家出をして、西条エリとあっちこっち贅沢な旅行をした後、万平ホテルで富美子が睡眠薬で自殺しかけた事は、男装の麗人という見出しで各新聞に連日報道された。
 父親が写真をうつされ、大阪から上京した母や姉が金のかかった衣類の重い裾さばきをニュース写真にとられた。西条エリは、白眼のきわだった目のまわりに暗い暈のかかったような、素肌に袷を着たような姿を撮され、私はその写真からもこの若い女優が今度の事に関りあったことに対しまだきまらない世間の人気や批判を人知れず気にしているらしい窶れを感じ、哀れに思ったのであった。
 母親であるひとの言葉によれば、富美子は生理的に不幸な欠陥をもった婦人であり、自殺の動機もそのことと、相場に大失敗したこととに在るように公表された。もし一人の女が、金にこそ不自由ないが、そのような生理的欠陥を体にもって二十八歳まで生きて来たのが事実とすれば、少くとも過去十数年、富美子というひとはどのように苦しい心持を経験したことであったろうか。物心ついて、自身の肉体の普通でない欠陥に気づいた時、何とかして母親に相談するなり、相場をやる位の向う意気があるならば自身医者に相談するかしなかったのかと、私は同情とともに歯痒さを感じるのである。娘がそういう内奥の問題について、しんみの母親を頼るような心持になれないような家庭内の雰囲気であったのでもあろう。女学校の今日の教育は、女が平凡な肉体と平凡な日常生活の軌道をもって過してゆくためには最少限の役に立っているであろうが、一旦現実が紛糾して、例えば一人の女の体に新聞記事に仄めかされているような生理的欠陥が現れたような場合、その不幸に対して先ず医学的処置を試みるという全く初歩的な実際的な判断さえ娘の心に養い得ていないのである。
 ロマン・ローランは嘗て、人間の幸、不幸の差というものの多くは社会的条件の変化によって無くすることの出来るものであるが、最も後までのこる差別は恐らく健康人と病人との間に在る差別であろうという感想を小説の中で述べていた。それを読んだ時余程以前のことであったが、私はこれは真実にふれた言葉であると思い、様々の感想をひき起された。トルストイが、一遍も病気をした事がないなどというような奴に人間の不幸がわかるものかと、腹を立てたように云っている言葉をも思い出したのであった。けれどもその時私の心に生れた様々な感想に混って一つの疑問があった。それは、ロマン・ローランはこの社会に最後までのこって或る人間の幸、不幸をわかつ原因となるものとして健康人と病人との差をあげているが、この人間生活の不幸の一見最後的な差別の根源にしろ、矢張り終窮は人生の多数者の生活条件いかんにかかっていてよっぽどの程度まで絶滅され得るものである。ロマ…

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