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作品ID | 319 |
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著者 | 黒島 伝治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「筑摩現代文学大系 38 小林多喜二 黒島伝治 徳永直集」 筑摩書房 1978(昭和53)年12月20日 |
入力者 | 大野裕 |
校正者 | はやしだかずこ |
公開 / 更新 | 2000-07-03 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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一
源作の息子が市の中学校の入学試験を受けに行っているという噂が、村中にひろまった。源作は、村の貧しい、等級割一戸前も持っていない自作農だった。地主や、醤油屋の坊っちゃん達なら、東京の大学へ入っても、当然で、何も珍らしいことはない。噂の種にもならないのだが、ドン百姓の源作が、息子を、市の学校へやると云うことが、村の人々の好奇心をそゝった。
源作の嚊の、おきのは、隣家へ風呂を貰いに行ったり、念仏に参ったりすると、
「お前とこの、子供は、まあ、中学校へやるんじゃないかいな。銭が仰山あるせになんぼでも入れたらえいわいな。ひゝゝゝ。」と、他の内儀達に皮肉られた。
二
おきのは、自分から、子供を受験にやったとは、一と言も喋らなかった。併し、息子の出発した翌日、既に、道辻で出会った村の人々はみなそれを知っていた。
最初、
「まあ、えら者にしようと思うて学校へやるんじゃぁろう。」と、他人から云われると、おきのは、肩身が広いような気がした。嬉しくもあった。
「あんた、あれが行たんを他人に云うたん?」と、彼女は、昼飯の時に、源作に訊ねた。
「いゝや。俺は何も云いやせんぜ。」と源作はむし/\した調子で答えた。
「そう。……けど、早や皆な知って了うとら。」
「ふむ。」と、源作は考えこんだ。
源作は、十六歳で父親に死なれ、それ以後一本立ちで働きこみ、四段歩ばかりの畠と、二千円ほどの金とを作り出していた。彼は、五十歳になっていた。若い時分には、二三万円の金をためる意気込みで、喰い物も、ろくに食わずに働き通した。併し、彼は最善を尽して、よう/\二千円たまったが、それ以上はどうしても積りそうになかった。そしてもう彼は人生の下り坂をよほどすぎて、精力も衰え働けなくなって来たのを自ら感じていた。十六からこちらへの経験によると、彼が困難な労働をして僅かずつ金を積んで来ているのに、醤油屋や地主は、別に骨の折れる仕事もせず、沢山の金を儲けて立派な暮しを立てていた。また彼と同年だった、地主の三男は、別に学問の出来る男ではなかったが、金のお蔭で学校へ行って今では、金比羅さんの神主になり、うま/\と他人から金をまき上げている。彼と同年輩、または、彼より若い年頃の者で、学校へ行っていた時分には、彼よりよほど出来が悪るかった者が、少しよけい勉強をして、読み書きが達者になった為めに、今では、醤油会社の支配人になり、醤油屋の番頭になり、または小学校の校長になって、村でえらばっている。そして、彼はそういう人々に対して、頭を下げねばならなかった。彼はそういう人々の支配を受けねばならなかった。そういう人々が村会議員になり勝手に戸数割をきめているのだ。
百姓達は、今では、一年中働きながら、饉えなければならないようになった。畠の収穫物の売上げは安く、税金や、生活費はかさばって、差引き…