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生活のなかにある美について
せいかつのなかにあるびについて
作品ID3194
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「アトリエ」1941(昭和16)年7月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-08 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私たちの日常生活のなかにある美しさというものも、今はなかなかきつい風に吹かれているのではないだろうかと思う。
 日々の生活にあった日本の美しさの隅々が変化をうけつつある。たとえば家の障子というものの感覚は、私たちの感情に結びついたもので、障子をはりかえたときのさわやかな気持だの、障子の上の雪明りだの日本の抒情に深い絆がひそんでいる。けれども、今日では普通の家の障子は、随分とひどい紙で張られていて、紙の美しさはないばかりか、到ってさけやすい。
 日本の畳も、特別むずかしいことを知らない私たちにすれば、へりがスフで切れやすいことは困却の一つである。
 木綿の生活的な美しさも、日常のなかへ再び嘗ての豊富さでかえって来ることはないだろう。
 いろいろそういうところがあって、それが生活の気分を、平易親密な美しさに憩わせることの少いものにして来ている。
 この頃、銀座の裏通りを歩いたりすると一寸した趣味とげてものをとりまぜたような店がふえて来ているのが目立つ。
 一応贅沢が人目に立ってはいけない折から、本当の高貴なものは反物にしろ器物にしろ街頭からひっこんだところで動いているわけなのだろう。従って、ぶらぶら歩きの視線にふれて来る程度のものは、ちよくな、これも面白い、という程のものなのだろうし、又今日は一般の人の目がそういうものにひかれやすくなってもいるのが実際だろうと思う。
 使っていい金が世間にあっただろうし、そういう金が流れているだけに物は悪くて高くなっているのだから、茶碗一つを買うにしろどうせもとの考えかたでやすくて使えるものがなくなっているのならば、と人々の目は一寸目先の変った品物へひかれるのである。
 それともう一つは、各方面に日本的なものの見直しがあって、そこには日本の美を真に見直そうとする愛の目醒めと同時に、皮相の風潮としてのそういうものもある。そして、そのことでは、面白いことに丁度外国人が日本の美というと古典しかわからないように、日本の美というと古いものにしか目を向けられないでいる傾きもある。
 世の中の勢は益々画一へ向い、工場でも小さな工場は併呑されて消えて行っている一方で、人々の感情に郷土的な品物や極めて手工業的な製作品が新しい興味を呼びさまして来ている関係は、今日の日本の文化の心理として案外に微妙であり重大でもあるのではないだろうか。
 或る時期の文化の中で、こういう分裂の現象があらわれて来ることは見過されてならないことだろうと思う。
 生活の片隅から親愛な美しさが失われてゆく感じから我知らず郷土的な風趣のあるものだの、げてものの面白さだのを求めている人々の生活にしろ、つまりはそれらのものを外から運びこんで生活のあすこ、ここに置いているだけのことで、つきつめて云えば一種の消費が形を変えたものに過ぎない。生活の面に飾られ、置かれ眺められているだけの…

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