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二老人
にろうじん |
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作品ID | 321 |
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著者 | 国木田 独歩 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「号外・少年の悲哀 他六篇」 岩波文庫、岩波書店 1939(昭和14)年4月17日、1960(昭和35)年1月25日 第14刷改版 |
初出 | 「文章世界」1908(明治41)年1月 |
入力者 | 紅邪鬼 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2000-07-12 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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上
秋は小春のころ、石井という老人が日比谷公園のベンチに腰をおろして休んでいる。老人とは言うものの、やっと六十歳で足腰も達者、至って壮健のほうである。
日はやや西に傾いて赤とんぼの羽がきらきらと光り、風なきに風あるがごとくふわふわと飛んでいる、老人は目をしばたたいてそれをながめている、見るともなしに見ている。空々寂々心中なんらの思うこともない体。
老人の前を幾組かの人が通った。老えるも若きも、病めるも健やかなるも。されどたれあってこの老人を気に留める者もなく、老人もまた人が通ろうと犬が過ぎ行こうと一切おかまいなし、悠々行路の人、縁なくんば眼前千里、ただ静かな穏やかな青空がいつもいつも平等におおうているばかりである。
右の手を左の袂に入れてゴソゴソやっていたが、やがて「朝日」を一本取り出して口にくわえた。今度はマッチを出したが箱が半ばこわれて中身はわずかに五六本しかない。あいにくに二本すりそこなって三本目でやっと火がついた。
スパリスパリといかにもうまそうである。青い煙、白い煙、目の先に透明に光って、渦を巻いて消えゆく。
「オヤ、あれは徳じゃないか。」
と石井翁は消えゆく煙の末に浮かび出た洋服姿の年若い紳士を見て思った。芝生を隔てて二十間ばかり先だから判然しない。判然しないが似ている。背格好から歩きつきまで確かに武だと思ったが、彼は足早に過ぎ去って木陰に隠れてしまった。
この姿のおかげで老人は空々寂々の境にいつまでもいるわけにゆかなくなった。
甥の山上武は二三日前、石井翁を訪うて、口をきわめてその無為主義を攻撃したのである。武を石井老人はいつも徳と呼ぶ。それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。
徳の姿を見ると二三日前の徳の言葉を老人は思い出した。
徳の説く所もまんざら無理ではない。道理はあるが、あの徳の言い草が本気でない。真実彼奴はそう信じて言うわけじゃない。あれは当世流の理屈で、だれも言うたと、言わば口前だ。徳の本心はやっぱりわしを引っぱり出して五円でも十円でもかせがそうとするのだ、その証拠には、せんだってごろまでは遊んで暮らすのはむだだ、足腰の達者なうちは取れる金なら取るようにするが得だ、叔父さんが出る気さえあればきっと周旋する、どうせ隠居仕事のつもりだから十円だって決して恥ずるに足らんと言ったくせに、今度はどうだ。人間一生、いやしくも命のある間は遊んで暮らす法はない、病気でない限り死ぬるまで仕事をするのが人間の義務だと言う。まるで理屈の根本が違って来たじゃないか、――やっぱりわしをかせがすつもりサ……とまで考えて来た時、老人はちょうど一本の煙草をすい切った。
石井翁は一年前に、ある官職をやめて恩給三百円をもらう身分になった。月に割って二十五円、一家は妻に二十になるお菊と十八に…