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乞はない乞食
こわないこじき
作品ID3222
著者添田 唖蝉坊
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆85 貧」 作品社
1989(平成元)年11月25日
入力者渡邉つよし
校正者門田裕志
公開 / 更新2001-09-20 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    指がなくて三味線を弾く男
 
 浅草に現はれる乞食は、みなそれぞれに風格を具へてゐるので愉快である。乞食といふ称呼をもってする事は、この諸君に対してはソグハないやうな気がするくらいだ。いかにこれらの諸君が人生の芸術家であるか、また、浅草を彩るカビの華であるかといふことについて語らう。
 浅草といふ舞台には、かかる登場者が順次に現はれ、消えてゆく。

 指がなくて三味線を弾く男――。彼はロハベンチに腰を掛けてゐる。左の手の指が四本ない。残った拇指で、煙管の半分に折れた吸口の方を挟み、その吸口の膨れた部分、凹んだ部分を巧みに利用して絃をおさへる。バチの代りにマッチの棒で弾く。
 離れて聴いてゐると、普通に弾いてゐるのとちっとも変りがない。一ぱいの人だかり、みんな感心して煙管の動きを目で追ひ、熱心に聴いてゐる。中には彼と同じベンチに彼に寄り添ふやうに腰かけてゐるものもある。「立山」を一つ弾いてから、
「今度は春雨でもやってみよう、しめっぽいものより陽気な方がいいからね」
 誰にともなくいふ。さも楽しんでゐるかのやうな話し振りだ。金を彼の膝の脇へ置く者があると、
「ヤ、どうもありがたう」
といかにも晴ればれと、まるで友達にでも挨拶するやうだ。しかもけっして反感を抱かせない快朗な声である。彼はけっして乞はない。泣言を言はない。彼の指のない理由についても、彼自身からしゃべることはけっしてない。誰かが執拗に尋ねたならば、彼はかく簡単に答へる。
「これですかい、工場でやられてね。どうもしやうがない、しばらく寝てゐたが、もう働らくこともできない不具になったんだなといろいろ考へてる内に、ちょっとした拍子からこんなことをはじめてね、イヤどうも情けない仕儀でさア」
と、またもや弾きながら小声でうたってゐる。彼を中心とした一団はまことに蟠りがない。彼を卑しめることなく、煙管の折れとマッチの軸によって生じる音色に聴き惚れる。そして、金を置く者があると、
「ヤ、ありがたう」
と、まるで友達にでも挨拶するやうに、彼は礼をいふ。

    風琴と老人

 時代遅れの風琴を鳴らす老人――。痩せた五十ぐらいの、ボロマントを着てゐる。彼はいつも区役所通りの下総屋の前の電柱の根ッこにあぐらをかいてゐた。そして古風琴の蛇腹を伸ばしたり、縮めたりしながら、唄をうたふのであるが、そのうたひ方が頗る人を食ったものだ。
「オレは河原の枯れすすき、コリャ」
などと掛声を入れてうたってゐる。彼は帽子を二つ持ってゐる。一つは鳥打、これは冠ってゐる。一つはベチャベチャな学帽。これは膝の前に置いてある。これは銭受である。この中へ銭を投げ込む者があると、彼はうたひながら軽く頭を下げて謝意を表す。
 但し投げ込まれた物が白い色をしてゐると、彼はわざわざ風琴の手をやめて、冠ってゐる鳥打を脱いで、下の学帽に頭が届くまで…

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