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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
作品ID3226
副題02 鈴鹿山の巻
02 すずかやまのまき
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠1」 ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日
初出「都新聞」1913(大正2)年12月19日~翌年9月3日
入力者(株)モモ
校正者原田頌子
公開 / 更新2001-05-09 / 2014-09-17
長さの目安約 78 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

「浜、雪は積ったか」
 炬燵に仮睡していた机竜之助は、ふと眼をあいてだるそうな声。
「はい、さっきから少しもやまず、ごらんなされ、五寸も積りました」
「うむ……だいぶ大きなのが降り出した」
「大きなのが降ると、ほどなくやむと申します」
「この分ではなかなかやみそうもない、今日一日降りつづくであろう」
「降っているうちは見事でありますが、降ったあとの道が困りますなあ」
「あとが悪い――」
 竜之助は横になったまま、郁太郎に乳をのませている差向いの炬燵越しにお浜を見て、
「あとの悪いものは雪ばかりではない――浮世のことはみんなそれじゃ」
 今日は竜之助の言うことが、いつもと変ってしおらしく聞えます。
「ホホ、里心がつきましたか」
 お浜は軽く笑います。
「どうやら酒の酔もさめかけたような――」
 竜之助はまた暫らく眼をつぶって、言葉を休めていましたが、
「浜、甲州は山国なれば、さだめて雪も積ることであろう」
「はい、金峰山颪が吹きます時なぞは、わたしの故郷八幡村あたりは二尺も溜ることがありまする」
 こんなことを途切れ途切れに話し合って、雪を外に今日は珍らしくも夫婦の仲に春風が吹き渡るように見えます。
 悪縁に結ばれた夫婦の仲は濃い酒を絶えず飲みつづけているようなもので、飲んでいる間はおたがいに酔の中に解け合ってしまいますけれども、それが醒めかけた時はおたがいの胸にたまらないほどの味気なさが湧いて来ます。その故に或る時は、二人の間に死ぬの生きるのというほど揉め出すかと思えば、或る時は水も洩らさぬほどの親しみが見えるのです。
「坊は寝たか」
「はい、すやすやと寝入りました」
「酒はまだあるか」
「まだありましょう」
「こう降りこめられては所在がない、また酒でも飲んで昔話の蒸し返しでもやろうかな」
「それが御無事でござんしょう」
 お浜は寝入った郁太郎を、傍にあった座蒲団を引き寄せてその上にそっと抱きおろし、炬燵の蒲団の裾をかぶせて立とうとすると、表道で爽やかな尺八の音がします。
「ああ尺八……」
 竜之助もお浜も、にわかに起ってそうしてこのしんみりした雪の日、人の心を吸い入れるような尺八の音色に引かれて静かにしていると、その尺八は我が家のすぐ窓下に来て、冴え冴えした音色をほしいままにして、いよいよ人の心を嗾るようです。
「よい音色じゃ、合力をしてやれ」
 お浜が鳥目を包んで出すと、外では尺八の音色がいよいよさやかに聞えます。
 お浜は台所に行っている間、竜之助は寝ころんだままで、その尺八を聞いています。
しおの山
さしでの磯に
すむ千鳥
君が御代をば
八千代とぞ鳴く
 余音を残して尺八が行ってしまったあとで、竜之助は再びこの歌をうたってみました。
しおの山
さしでの磯に
すむ千鳥……
 そこへ銚子を持って来たお浜が、
君が御代をば八千代とぞ…

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