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作品ID | 3298 |
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副題 | 平和のために、原子兵器の禁止を へいわのために、げんしへいきのきんしを |
著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十五巻」 新日本出版社 1980(昭和55)年5月20日 |
初出 | 「村と共済」創刊一周年記念号、1950(昭和25)年8月号 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2003-09-29 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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都会の主婦も農村の主婦も、同じ女性であることに何のちがいがありましょう。しかし、現実の生活の内容は非常にちがった点をもっています。工場に働く婦人たちと農業にしたがっている婦人たちとが、ともに働く婦人であることにちがいはありません。けれどもその労働の条件と経済事情と社会関係は互にひらきをもっています。だからわたくしたち女性といっても、都会に暮す婦人の気持と農村に生活する婦人の気持とはまるでちがったものだといってしまうことは、正しいでしょうか。わたくしたちは農村で働いている婦人なのだから、都会の婦人や工場働きの人とはちがうときめられるでしょうか。
生活のしかたにはいろいろのちがいがあるけれども、わたくしたちには共通した人生の願いというものが、こんにちの生活から導きだされてつよく一貫して流れはじめていると思います。
終戦の後しばらくは次のように考えていた年よりもなくはなかったようです。なにひとつわるいことをしなかったうちの息子ばかり戦死して、となりの息子が無事にかえってきたのはいかにもくやしい。もう一度戦争でもはじまって、となりの息子も戦死すればいい、と。今日そう思っている人がはたしてどこにあるでしょうか。
シベリアや中国から帰還してきた人のなかには、まだひといくさを夢みていて、戦争に反対し、平和を叫ぶのはアカだというようなことをいいふらし、村の民主化をかきみだしている人もあります。けれども、そういう人のいる村でも、大多数の人が、こんにち本心からのぞんでいるのはなにかといえば、第一に生活の安定であり、自分の国の人民の生活を守りたてていく実力のある政府がなくてはならないということではないでしょうか。部落、部落がそれぞれ地主あいてに生活をまもってたたかっていたころとはくらべものにならない複雑さと大きさで、じかに政府のやりかたとくみうちして生きていかなければならなくなってきている農村のきょうの実状の中では、農村の主婦、母、未亡人たちすべてが、ただ黙々と野良、家事、育児と三重の辛苦を負うて目先の働きに追われていくだけでは、やっていけません。
たとえば、ことしの税の問題です。重税のために自殺者や一家心中、破産者がこれほど出た国は、どこにもありません。それはシャウプ勧告の徴税法が過重であるのではなくて、税務署の役人の税をとりたてる方法がわるかったのだろうと言われたそうです。しかし、そう言われたからといって、死んだ人は生きかえりません。そしてやはり農村は税で破滅させられかかっています。
金づまり、そして農村はいたるところ危機に立っている。その危機に立っている日本の農村のどのひとつの村と町に、戦争未亡人がいないというところがあるでしょうか。全国二百万ちかい未亡人で十八歳以下の子もちのひとが八八・四%あります。そして内職しながら保護法もうけて生計を保っている未亡人と子供…