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若い人たちの意志
わかいひとたちのいし
作品ID3300
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十五巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日
初出「新女苑」1951(昭和26)年1月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-09-29 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ゆたかに、より能力のある人生を、というこころもちから、このごろの十代の人たちはどう生きているか、そして、どう生きようと欲しているか、という問題について注目されはじめている。
 これは日本にとって、どういう角度からも決して無意義なことではない。若い女性というとき、これまでその若さは何となし結婚適齢期のぐるりで考えられていた。昔の人達が年ごろの若い方とよぶとき、それは女学校卒業ごろから結婚までぐらいの間の女性たちをさした。女性には年ごろという一つのよびかたがあっても、男の年ごろという考え方は昔からなかった。このことは、日本の社会の習慣のなかで、女性の一生とその運命とが、妻となる、という形に決定したものとして扱われて来た証拠であった。
 十代の人たちが、社会の歴史にとって、注目すべき年代として登場して来たことは、日本の一般が、人間というものについて、いくらか複雑で立体的な理解をもちはじめたことを語っている。ほんとにどんな大人でも、しずかに自分たちが生きて来た道をかえりみれば、十二、三から十五、六、七歳ごろの月日が、どんなに感銘にみちたものであったか、考えずにはいられないだろう。大人は自分たちの十代をかえりみたとき、とかく、わたしがそのくらいの年ごろだった頃には、と、少年少女としての自分がおかれていた境遇と、それにつれて現在では物語めいて変化しているその時代の様相を想い起す場合が多いらしい。
 そして多くの場合、そういう境遇とか、世相とかにおいて、いまの少年少女、わかい人々の生きかたと、かつてあった生きかたとを比較したがる。――しかもおとなとしてのきょうの心で――
 だけれども、そういう方法は、大人の方法で、しかもふるい大人、若いものと自分たちという区別の意識からぬけられないタイプのおとなの方法だと思う。
 多くの可能のひそめられている人間誕生として、赤坊を見るこころをもっているおとな。小さい人間の成長過程として男の子供、女の子供の生きかたを見まもるような表情をもっているおとな。
 そして、心からごく若い男――少年、ごく若い婦人たち――少女を、人間的自覚のあかつきの面を向けている大切な美しい時期の人たちとして理解をもっているおとなたち。そういうおとなの人間が日本の中に一人でも多く形成されてゆくことを、きょうのおとな自身がどれほど希っていることだろう。
 ある意味で、いまのおとなにあきたりない苦しさとたたかっている若い人たちの悩みの本質は、そっくりそのまま、そう狭くない範囲でおとな自身のたたかっているなやみでもあるというのが、いまの現実のありようである。人間としての悩みは、成長のそれぞれの時期にちがった形をとってあらわれる。
 けれども、そのさまざまな形を通じて、一貫した「人間の問題」として、わかい人々の生活は、年齢をこして、人間らしくあろうと欲しているすべての年代…

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