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ステッキ
ステッキ
作品ID33198
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第六巻」 岩波書店
1961(昭和36)年3月7日
入力者Cyobirin
校正者佳代子
公開 / 更新2003-10-23 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 初めは四本足、次に二本足、最後に三本足で歩くものは何かというなぞの発明された時代には、今のように若い者がステッキなどついて歩く習慣はなかったものと思われる。杖がつきものになっている魔法使いはたいていばあさんかじいさんであるが、しかし彼らの杖はだいぶ使用の目的が違っていて、孫悟空のなんとか棒と同様にきわめて精巧な科学的内容をもっていたものと思われる。シナの仙人の持っていた杖は道術にも使われたであろうが、山歩きに必要な金剛杖の役にも立ったであろう。羊飼いは子供でも長い杖を持っているが、あれはなんの用にたつものか自分は知らない。牧羊者の祖先が山地の住民であったためか、それとも羊を追い回しおおかみでも追い払うために使われたものか、ともかくもいわゆるステッキとはだいぶちがったものである。それから雲助の息杖というものがある、あれの使用法などは研究してみたらだいぶおもしろそうなものであるが、今日では芝居か映画のほかには山中へ行かなければ容易に見られないものになった。あれも現代におけるステッキの概念にはあてはまらないもので、昔の交通機関としての山駕籠という機械の部分品と考えるべきものであろう。
 自分たちの子供の時分には、田舎のおばあさんというものは、大概腰のところでからだが百二十度ないし九十度ぐらいに折れ曲がっていたもので、歩くにはどうしても杖を第三の足にしないと重力に対するつりあいがとれなかったものである。実に悲惨な格好をしていたものであった。木枯らしの吹くたそがれ時などに背中へ小さなふろしき包みなど背負ってとぼとぼ野道を歩いている姿を見ると、ひどく感傷的になってわあっと泣き出したいような気持ちになったものである。もういっそう悲惨なのは田んぼ道のそばの小みぞの中をじゃぶじゃぶ歩きながら枯れ木のような足に吸いついた蛭を取っては小さなもめんの袋へ入れているそういうばあさんであった。こうして採集した蛭を売って二銭三銭の生活費をかせいでいたのである。思い出すだけでも世界が暗くなるくらいで、杖という杖の中でもこういうばあさんの杖などは最もみじめな杖であろう。 
 親類のじいさんで中風をしてから十年も生きていたのがあった。それが寒い時候にはいつでも袖無しの道服を着て庭の日向の椅子に腰をかけていながら片手に長い杖を布切れで巻いたのを持って、そうしていつまでもじっとしたままで小半日ぐらいのあいだ坊主頭を日に照らしていた。あたまの上にはたいてい蠅が一匹ぐらいとまっていた。そういう夢のような幼時の記憶があるが、このように腰をかけながらついている杖などは杖としての珍しい用途であろう。力学的に考えるとやはりからだの安定を保つために必要な支柱の役をしていたに相違ない。
 しかしこういうあらゆる杖に比べると、いわゆるステッキほどわけのわからない品物はないと思われる。屈強の青壮年が体重をささえるた…

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