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三十五氏
さんじゅうごし
作品ID33222
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「草魚」 サイレン社
1935(昭和10)年7月12日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2003-08-22 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 直木さん、いつまでも、三十一、三十二、三十三、三十四とするのときいたら、うんといつた。でも、三十五氏はまだいいが、三十六、三十七、三十八、それから三十九はをかしい。みそくふなんて味噌ばかりつけるやうで、まだ三十五氏の方が好いと言つたら、例の、毛の薄い頭の地まで赤くして顎を撫でながら、ふふ、ふふ、ふふと笑つた。あの人物が赤面するなぞとは、ちよつと思へないであらうが、あんなに顏を赤らめる人はなかつた。だが、顎をささへて、輕く首を左右へ動かすか、または輕くうなづく時は機嫌がいいのらしかつた。
 逼塞時代の寒い日のある夕方、羽織の下に褞袍を着て、無帽で麹町通りの電車停留場に立つてゐたとき、頭の毛が寒風にそよいでゐた細い、丈の高い姿や、小意氣な浴衣の腕まくりをして、細い脛を出して安坐で話しながら、懷から取出すところの金入れといへば、四六版の本ならスポリとはひつてしまつて、まだ餘りがありさうなほど大きな、しかもいつでもぺかぺかに薄つぺらなのを出し入れするのでつひ笑つたら、これへ一ぱいに入れようと思つてゐるのだと、自分でもをかしいらしいのを妙に眞劍に言つてゐたのが、思ひ出される。
 震災後、大阪のプラトン社に居たころ、三上の用事でたづねていつたら、あの下駄の音では肝をひやす。あれをきくとかう體が縮んでしまふのだと、本當に肩をすくめ、頭を抱へて小さくなつてゐた。それはなんのことかと思つたらば、京都にとまつてゐた私は、出がけに小雨に降られたので、宿の人の親切から、京阪出來の中齒の下駄を穿してくれたのだつた。プラトン社は社長令夫人の父君の隱宅を使つてゐたので、入口が大阪によくある花崗石の敷詰めてある露路だつた。そこを私はからからと下駄の音をたてて訪ねていつたのだつたが、あにはからんや、大阪の花柳地の女――お勘定をとりにくる女は、雨が降らなくつても穿いてゐるのがその日和下駄だつたといふのだ。それは傍らから故小山内薫氏が説明した。直木氏は、僕はその下駄の音に惱まされて痩るといつた。その時も赤くなつてゐた。
 あの痩てゐる人が、とてもでつかい、角力さんのやうな大きな、赤い派手な座ぶとんを敷くのが好きなやうだつた。もひとつ、でかでかだつたのは去年の夏、紀尾井町の家で見た三面鏡の鏡臺、これは私の知つてるかぎり、どの役者の樂屋用のよりも大きかつた。
 震災の時、直木氏の家は燒け、三上の家は半破れだつたが、その半破れの家の門内から、邸町の警護に出るところの彼は、痩身長躯に朱鞘の一刀、三上は洋服に大だんびらで、しかも誠に無能な二人であつた事を思出さずに居られない。そんなこんなが底にあるものだから、ある時、直木氏がずつと傑くなつてから、この人これで仲々傑いと、みんなの前でいつてしまつたら、苦笑もせず、なかなかこれで傑いか? と繰返してつぶやくやうに言つてゐた。
 それはいいが、去冬逢つた時に、…

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