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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
作品ID3334
副題07 東海道の巻
07 とうかいどうのまき
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠2」 ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日
初出第七巻「東海道の巻」「都新聞」1918(大正7)年 1月1日~3月6日
入力者(株)モモ
校正者原田頌子
公開 / 更新2001-06-01 / 2014-09-17
長さの目安約 103 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

 これらの連中がみんな東を指して去ってから後、十日ほどして、一人の虚無僧が大湊を朝の早立ちにして、やがて東を指して歩いて行きます。これは机竜之助でありました。
 竜之助の父弾正は尺八を好んで、病にかからぬ前は、自らもよく吹いたものです。子供の時分から、それを見習い聞き習った竜之助は、自分も尺八が吹けるのでありました。
 眼の悪い旅には陸よりも船の方がよかろうと言ったのを聞かずに、やはりこれで東海道を下ると言い切って竜之助はこの旅に就きましたのです。
 旅の仕度や路用――それは与兵衛の骨折りもあるが、お豊の実家亀山は相当の家であったから、事情を聞いてそれとなく万事の世話をしてくれたものであります。
 尺八は持ったけれども別に門附けをして歩くのでもありませんでした。天蓋の中から足許にはよく気をつけて歩いて行くと、それでも三日目に桑名の宿へ着きました。ここから宮まで七里の渡し。
 竜之助は、渡しにかかる前に食事をしておこうと思って、とある焼蛤の店先に立寄りました。
 名物の焼蛤で飯を食おうとして腰をかけたが、つい気がつかなかった、店の前に犬が一ぴき寝ていました。
 大きなムク犬、痩せて眼が光る、蓆を敷いた上に行儀よく両足を揃えて、眼を据えて海の方を見ています。
「これは家の犬か」
「いいえ、まぐれ犬でござんす」
 女中がいう。
「それを、お前のところで飼っておくのか」
「そういうわけでもございませんが、ここに居ついて動きませんので」
「そうか、これはなかなかよい犬じゃ、大事にしてやるがよい」
「ほんとによい犬でございます、見たところはずいぶん強そうでございますが、温和しい犬で、それで怜悧なこと、一度しかられたことは決して二度とは致しません、まるで人間の言葉を聞き分け人間の心持までわかるようでございます」
「そうか」
「それですから、近所でもみんな可愛がりまして、御膳の残りやお肴の余りなどをこの犬にやっておりますし、犬もここを宿として居ついてますから、こうしておきますので、もし飼主でも出ましたら返してやりたいと思いますのでございますが」
「これこれ、お前の名はクロか、ムクか、こっちへ来い」
 竜之助は天蓋越しに犬の姿をよく見ていると、犬もまた竜之助の方をじっと見ています。

 竜之助がこの店を立つと、犬がそれについて来ます。
 渡場まで来ても犬は去りません。竜之助もまた追おうともしません。竜之助が船に乗ると、犬もそれについて船に乗ろうとして船頭どもの怒りに触れました。
「こん畜生、あっちへ行け」
 棹を振り上げて追い払おうとしたが逃げません。
「乗せてやってくれ、船頭殿」
 竜之助はなぜかこの犬のためにとりなしてやりました。
「これはお前さんの犬でございますかい」
「そうだ」
 船頭が不承不承に棹を下ろすと、犬はヒラリと舟の中へ飛んで乗りまし…

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