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学変臆説
がくへんおくせつ
作品ID3337
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第一巻」 筑摩書房
1970(昭和45)年9月15日
初出「反省雜誌」1897(明治30)年3月1日、第十二年第二号
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-11-14 / 2014-09-17
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

天運は循環するか、意ふに其の循る所の環は、完全なる圓環にあらずして、寧ろ無窮なる螺旋形を爲す者たらんか、何となれば一個の中心點より開展して三のダイメンシヨンある空間を填充すべき一條線は、須らく無限に支派して螺形に纏繞する所の者たらざるべからざれば也。地球は三百六十五日五時餘を以て太陽を一周す、已に一周し畢れば、必ずや再び故路を行かざるべからず、但だ太陽は其の行星に對せる位置こそ定住不變には見ゆれ、太陽より大なる星界の大中心に對しては、彼も亦轉々として周旋已まざれば、則ち地球が行く所の故路なる者も、亦唯だ太陽に對する關係に於て故たるに近きのみ、其實は年々歳々未だ經ざる大宇宙間を旋轉して進行する者ならざるを得ず、故に其の軌道は環形ならずして、螺旋形なることを知るべし。唯夫れ單一なる螺旋の一端より中心を徹して他端を見るときは、其の宛轉たる各節は盡く重沓して、其の目に觸るゝは、圓環と異なることなかるべし、意ふに地球の行程は複雜無窮の螺旋環たるべくして、固より單一なることを得べからずと雖も、其の人類が知識せる短距離の間に在ては、單一なる者と大差なく見ゆるが故に、螺旋環の無窮なる新行程を經る者も、旋轉の次、復た故路に復るの觀あることは、故なきの謬想とせず、是れ知る、限なき時間を經過する歴史的變遷、所謂天運が、唯是れ循環と看做さるゝことの亦復一理あることを。既に天運循環なる語のやゝ眞理の一偏を得たるを認めんには、無智妄信の一致が、研究解釋の分裂を經て、解悟心證の一致に歸するに當り、終の始と性質は則ち異なるも、其の所謂一致と云ふ者が、相類同するの當然なるも、亦因て知られん。唯だ一流の學者に在ては、專ら此理を智識の一途に求めて、道義若くは美妙の發達も亦然るを省せず、應用の範圍、小局に偏するの失を致せるを憾む。今若し之を擴充して、眞善美三つの者の極粹に達すべき路程の[#挿絵]樹を[#挿絵]し來らんには、其間無限の興味あり、至大の作用あることを發明し得べし、且らく吾が學變に就て立言する所を聽け。
歐洲思想變遷の史蹟を鑑みるに、羅馬統一以前は、別に是れ一個の世界にして、其の循環に於ても、亦國各々特に一期を始終して、全局の他期と相關かること少ければ、姑らく此に論ぜず。羅馬帝國の統一は、實に基督の教、プラト、アリストートルの學と融和して、思想世界を統一すべき準備たりしが若し、故に神聖帝國が土崩瓦解せし後に至りても、教權の高大は少しくも損傷せずして、新たに生ぜる諸國民の思想を一に繋ぎしこと久しきに渉れり。固より此時に當りて、氣運の然らしむる所、教權の統一も亦政權の統一の若く、專制獨裁の状態たり、專ら人の精神を支配することを勉めずして、驀地に其の外形の儀式文爲を是れ整ふるの弊は免れざる所なりしと雖も、教法の任に當る者が宗教經綸の觀念に神旺して、其職を以て有形無形すべての現象を統紀すべき者と…

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