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![]() ノーウッドのけんちくか |
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作品ID | 3394 |
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原題 | THE ADVENTURE OF THE NORWOOD BUILDER |
著者 | ドイル アーサー・コナン Ⓦ |
翻訳者 | 枯葉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「"The Return of Sherlock Holmes"所収 "The Adventure of the Norwood Builder"」 |
入力者 | 枯葉 |
校正者 | |
公開 / 更新 | 2001-06-12 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 45 ページ(500字/頁で計算) |
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「犯罪の専門家として言わせてもらえば」と、ミスター・シャーロック・ホームズは言った。「ロンドンは、モリアーティ教授の逝去以来、じつにつまらない街になったものだ」
「数多いまともな市民が君に賛成するとは、とうてい思えないね」と、私は答えた。
「まあよし、勝手を言ってはならないか」と微笑みながら、ホームズは朝食のテーブルから椅子を引いた。「社会は得をし、損をしたものは誰もいない。ひとり、失業した専門家を除けばね。あの男が活動していれば、朝刊は無限の可能性を与えてくれるものだった。ときに、それはごくごく小さな痕跡や、ごくごくかすかな兆候でしかなかったけれど、それでも十分、卓越した悪辣な頭脳の存在を僕に知らせてくれた。巣の縁でのかすかな振動が、巣の中央に潜む汚らわしい蜘蛛の1匹を暴きだすように。けちな窃盗事件、理不尽な強盗事件、無益な傷害事件――手がかりを握るその男にとって、すべてをひとつの穴に結びつけることができた。高等犯罪界の科学的学徒にとって、ロンドンは、ヨーロッパのどの首都よりも先進性を持つ街だった。だが今や――」ホームズは肩をすくめ、自身が尽力して生みだしたこの現状を、滑稽に非難してみせた。
この話は、ホームズが戻って数ヶ月経ったころのことで、私もまた、ホームズの要求に応じて診療所を売り払い、ベイカー街にある昔馴染みのあの部屋に戻っていた。診療所を買い取ったのはヴァーナーという名前の若い医者だった。私があえて提示したきわめて高い価格を、こっちが驚いてしまうほど文句をつけずに支払った――数年後、ヴァーナーがホームズの遠縁にあたることを知り、事情が飲み込めた。実際に金を積んだのは、我が友だったのだ。
ここ数ヶ月の共同生活はホームズが言うほどに暇だったわけではない。この期間につけたノートをめくってみれば、前大統領ムリロの文書事件が収められているし、あのオランダ汽船フリースランド事件という衝撃的な事件もある。後者の事件では、我々まであやうく命を落としそうになったのだ。ホームズは冷淡で高慢な性格をしていたから、いかなる形であれ大衆の賞賛を嫌っていた。それで、ホームズ自身について、ホームズの手口について、ホームズの成功について、これ以上言葉を費やしてはならないと、かなり厳しく私を束縛していた――以前も説明したとおり、禁令はいまになって解除されたのである。
ミスター・シャーロック・ホームズが、先の奇抜な主張を終えて椅子に持たれかかり、ゆとりにあふれる態度で新聞を広げようとしていたそのとき、呼び鈴が大音量で鳴り響いて我々の気をひいた。乱打音が響いてくる。どうやら、誰かがドアを拳で叩いているようだ。ドアが開かれる音。騒々しく駈けこむ音。猛スピードで階段を踏み鳴らす音。一瞬の後、目を血走らせた半狂乱の若い男が室内に飛びこんできた。顔は青ざめ、服装は乱れ、息を切らしている…