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作品ID3444
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十六巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日
初出「東京大学新聞」1946(昭和21)年7月23日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-10-20 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 去る四月一日の『大学新聞』に逸見重雄氏が「野呂栄太郎の追憶」という長い文章を発表した。マルクス主義を深く理解している者としての筆致で、野呂栄太郎の伝記が細かに書かれ、最後は野呂栄太郎がスパイに売られて逮捕され、品川署の留置場で病死したことが語られている。「昭和八年十一月二十八日敵の摘発の毒牙にかかって遂に検挙され」当時既に肺結核を患っていた野呂は「警察における処遇に抗しかねて僅か二ヶ月に足らずして品川署で最後の呼吸をひきとった。数え年三十五歳であった。」
 当時私の友達が偶然野呂さんのいた警察の留置場に入れられていた。そのひとは看護婦の心得があったので、自分で体の動かせなくなった野呂さんのために世話をしてあげた。
「どこへか運ばれてゆくとき留置場から自動車まで抱いて行ったんです。女のわたしが、軽々と抱き上げるほど小さくなってしまっていらしたのよ。抱き上げた途端はっとして、涙が出て、かくすのに本当に困ったの」そのひとは、そう話した。「自分も病気だったけれど、わたしは、本当に本当に何とも云えない気がした。私は死なないこと丈はたしかだったんですもの」これを話した人は、おそらく一生この光景を忘れることはないだろう。
 逸見氏の文章を、私は様々のことを思いながら、読んだ。未完であったその「追憶」はつづけて四月十一日の『大学新聞』にのった。筆者はたっぷり、いい気持に、一種調子の高いジェスチュアをも加えて文章を進めているのであった。「マルクス主義は論壇で原稿稼ぎに使われるような、そんな生やさしいものではないのである。その理論の命ずるところは必ずプロレタリアートの実践と結びつく。」「この理論と実践との結びつきを、身を以て野呂が、あの健康をもって示したことは、今後のマルクス主義者に多くの範を示すものである」と。
 それを読み、二度三度くりかえして読み、私の心には烈しく動くものがあった。この一節を書くとき、筆者逸見氏は、自分のうちにどんな気持がしていたのであろうか、と。
 逸見重雄氏は、野呂を売って警視庁に捕えさせたスパイの調査に努力した当時の党中央委員の一人であった。特高が中央委員であった大泉兼蔵その他どっさりのスパイを、組織の全機構に亙って入りこませ、様々の破廉恥的な摘発を行わせ、共産党を民衆の前に悪いものとして映そうとして来たことは、三・一五以来の事実であった。そして、これは、今日の事実であり、明日の事実であるであろう。現に新聞は共産党への弾圧を挑発するためマ元帥暗殺計画を企てた新井輝成という男の記事を発表している。
 当時の中央委員たちによって、スパイとして調べられていた小畑達夫が特異体質のため突然死去したことは、警視庁に全く好都合のデマゴギーの種となった。共産党員は、永い抑圧の歴史の中で沢山の誹謗に耐えて来たのであったが、この事件に関係のあった当時の中央委員たちは、…

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