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共産党とモラル
きょうさんとうとモラル
作品ID3458
副題三・一五によせて
さん・いちごによせて
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十六巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日
初出「アカハタ」1948(昭和23)年3月14日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-10-22 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 三・一五というと、今日では日本の解放運動史の上に、知らない人のない記念日となった。四・一六とならべて今年もわれわれに記念される日であるけれども、大体こういう記念日の今日へのうけとり方というものはよく考えてみると、決して通り一ぺんのものではないと思う。三・一五の私たちへつたえる教訓は、一九二八年におこった大規模な共産党と共産主義者に対する弾圧は、これを機会に日本の治安維持法が改悪され、特高警察がおかれ、検事に思想係が出来たというだけのことではなかった。私どもがもっとも銘記すべきことは、この三・一五の被告であった指導者のうち、非常に多数の人が今日の日本の民主化をあらゆる方法で邪魔している階級的裏切者に顛落している事実である。
 佐野学、鍋山貞親、三田村四郎などという今日の勤労階級の敵は三・一五事件のときの日本共産党の指導者たちであった。
 同じ三・一五の被告であった徳田球一、志賀義雄などの人々が、永い獄中生活にもかかわらず、一九四五年十月に解放されてからすぐ共産党の合法的活動に着手したことを思いあわせると、私たちは同じ共産党員といわれる人々の中に、非常な大きい差別があることにおどろく。
 同じ共産主義者といっても、困難な条件におかれたとき、佐野、鍋山、三田村のように共産主義の理論を、自分の身を守るに都合のよいようにねじまげて安全をはかり、しかも治安維持法のなくなったあとまで、勤労階級の民主化と解放を邪魔しつづけている事実は、すべてのまじめな人々を深く考えさせずにはおかない。
 今日日本の共産党は十万の党員を組織している。私たち一人一人がみなその十万の一部をなしている。三・一五が二十年目の記念の日をむかえるとき、すべての党員は自分たちがどんなたよりになる党員であるかということについて、よく自分をしらべてみるべきであると思う。なぜなら治安維持法そのものはなくなっても、日本の民主化の現状をみれば勤労階級の当面している困難は決して単純でない。佐野、鍋山、三田村達がさかんに策謀している組合、労働組合の民主化運動に対し組合員党員の一人一人がどんなに正しくまたひろい実際性をいかして闘っていくかということを、改めて考えてみるべき日でもある。三・一五の記念日をあの時代のこととして、ただ暦の上でだけ記念するならば全く意味はない。ひっくるめて、三・一五といってしまえば、そのなかには今日私たちがはっきり敵として理解しなければならぬ人々をもふくんでいるのであるから三・一五を記念するならば、三・一五の検挙を通じて今日まで一貫して勤労階級の解放のために闘いつづけている人々を記念しなければならない。今日の社会事情と党の合法性とのなかで三・一五のほこるべき伝統は、私たち一人一人のなかにどんな具体的な今日の形でうけつがれているかということこそ見極められなければならない。三田村たちが非合法活動の方…

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