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真景累ヶ淵
しんけいかさねがふち
作品ID350
著者三遊亭 円朝
文字遣い新字新仮名
底本 「定本 圓朝全集 巻の一」 近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年6月10日
入力者小林繁雄
校正者かとうかおり
公開 / 更新2000-04-18 / 2016-04-21
長さの目安約 431 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 今日より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございません、と申すものは、幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。それ故に久しく廃って居りましたが、今日になって見ると、却って古めかしい方が、耳新しい様に思われます。これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、或は流違いの怪談ばなしがよかろうと云うお勧めにつきまして、名題を真景累ヶ淵と申し、下総国羽生村と申す処の、累の後日のお話でございまするが、これは幽霊が引続いて出まする、気味のわるいお話でございます。なれども是はその昔、幽霊というものが有ると私共も存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おゝ怖い、変な物、ありゃア幽霊じゃアないかと驚きましたが、只今では幽霊がないものと諦めましたから、頓と怖い事はございません。狐にばかされるという事は有る訳のものでないから、神経病、又天狗に攫われるという事も無いからやっぱり神経病と申して、何でも怖いものは皆神経病におっつけてしまいますが、現在開けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッと云って臀餅をつくのは、やっぱり神経が些と怪しいのでございましょう。ところが或る物識の方は、「イヤ/\西洋にも幽霊がある、決して無いとは云われぬ、必ず有るに違いない」と仰しゃるから、私共は「ヘエ然うでございますか、幽霊は矢張有りますかな」と云うと、又外の物識の方は、「ナニ決して無い、幽霊なんというは有る訳のものではない」と仰しゃるから、「ヘエ左様でございますか、無いという方が本当でげしょう」と何方へも寄らず障らず、只云うなり次第に、無いといえば無い、有るといえば有る、と云って居れば済みまするが、極大昔に断見の論というが有って、是は今申す哲学という様なもので、此の派の論師の論には、眼に見え無い物は無いに違いない、何んな物でも眼の前に有る物で無ければ有るとは云わせぬ、仮令何んな理論が有っても、眼に見えぬ物は無いに違いないという事を説きました。すると其処へ釈迦が出て、お前の云うのは間違っている、それに一体無いという方が迷っているのだ、と云い出したから、益々分らなくなりまして、「ヘエ、それでは有るのが無いので、無いのが有るのですか」と云うと、「イヤ然うでも無い」と云うので、詰り何方か慥かに分りません。釈迦と云ういたずら者が世に出て多くの人を迷わする哉、と申す狂歌も有りまする事で、私共は何方へでも智慧のある方が仰しゃる方へ附いて参りまするが、詰り悪い事をせぬ方には幽霊という物は決してございませんが、人を殺して物を取るというような悪事をする者には必ず幽霊が有りまする。是が即ち神経病と云って、自分の幽霊を脊負って居る…

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