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医師高間房一氏
いしたかまふさいちし
作品ID3510
著者田畑 修一郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩現代文学大系 60」 筑摩書房
1978(昭和53)年4月15日
初出「医師高間房一氏」砂子屋書房、1941(昭和16)年4月
入力者kompass
校正者松永正敏
公開 / 更新2005-05-11 / 2014-09-18
長さの目安約 274 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第一章




 この物語の主人公である高間房一の生ひ育つた河原町は非常に風土的色彩の強い町であつた。海抜にしてたかだか千米位の山脈が蜿蜒としてつらなり入り乱れてゐる奥地から、一条の狭いしかし水量の豊富な渓流が曲り曲つたあげく突如として平地に出る。そこで河は始めて空を映して白く広い水面となり、ゆつたりと息づきながら流れるやうに見える。その辺は平地と云つても、直径にして一里足らずの小盆地で、奥地から平凡になだらかに低まつて来た山々は一面の雑木山で、盆地の端に立つと向ふ側の山も殆ど手の届くやうな感じに近く見える。さういふ平地を河は大きくうねつて、玉砂利の磧がたいへん白く広く見える。芝草の生えた高い土堤がつゞいて、土堤の外側は水害を避けるための低地であるが、しかし不断は畑地になつてゐて、その又向ふに土堤よりは一段と高く思ひ思ひの様子で築かれた石垣があり、そこに河原町の家々が裏手の土蔵の塀やあるひは小部屋などを見せてゐるのである。そして、古びてはゐるが大きい材木を使つた此の家々は一様に外面を白壁でかこんでゐる。それは新しくて真白なのもあるが概して風雨にたゝかれたためうす黒い陰影がついて、その適度に古びた白さが、遠くから見る町並の中に点々と浮き上つて、此の河原町を一種親しみ深い快い様子に見せてゐる。又、町の裏手の山腹に一所、ちよつと見は大きい土くづれと思はれるやうな赤土の露出してゐる箇所があつて、その色があまり鮮かなので、白壁の多い町といゝ対照をつくつて、それが又この町を特別美しいものにしてゐる。これは銅山の廃坑であつた。
 この廃坑は旧幕時代の末頃まではまだ採掘されてゐて、これあるがために河原町は当時幕府直轄の天領となつてゐた。そして、上流にある城下町の藩主が参勤の途上この河を利用して下る時、天領との間に何か紛争の糸口のつくのを憚つて、河原町の傍を通る間は舟に幕をはり、乗組の者は傍見をして下つたと云ふ。それほどであつたから、この領内の民は他領との縁組を嫌ひ、他領から移り住む者を許さなかつたし、狩猟とか交通とかその他様々な点で非常な横暴と特権とを許されてゐたものだつた。
 銅山が廃坑となり、時代が移ると共に、他所の町村が発展するのに河原町だけは産業的に衰微し、とりのこされたが、以前の天領気分は今でもなほこの町を中心とする一廓に残つてゐた。それは近くの村々から「河原風」と呼ばれてゐた。今でこそ「無暗と気位ばかり高くて能なし」の意味であつたが、当の河原町の人々は、それがどんな意味に使はれてゐても、腹の中では漠然とした自己尊敬の念を感ずるのであつた。
 田舎町の習慣として、婚礼とか祭礼とか、葬式、法要などが盛んで、狭い町中がお互ひの家の奥向きの様子など手にとる如く知り合つてゐるほど交際が密であつたから、家ごとに何かあるといつも同じやうな顔ぶれ、つまり殆ど町中の人が時期と場…

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