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楢重雑筆
ならしげざっぴつ |
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作品ID | 3552 |
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著者 | 小出 楢重 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「小出楢重随筆集」 岩波文庫、岩波書店 1987(昭和62)年8月17日 「小出楢重全文集」 五月書房 1981(昭和56)年9月10日 |
入力者 | 小林繁雄 |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2002-12-25 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 157 ページ(500字/頁で計算) |
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国境見物
何かフランスにおける面白い絵の話でも書こうかとも思ったのですが、実は西洋で、僕は生まれて初めて無数の絵を一時に見過ぎたために、今のところ世の中に絵が少し多過ぎやしまいかと思っているくらいで、まったく絵について何もいいたくないのです。またこの節は洋行する画家も多いし、帰朝者もまた多いことだし、たいていのことはいい尽されてもいるし、本ものの絵が近頃は日本で昼寝をしていても向こうから洋行して来る時節ですから、あまり珍しくもないと思います。それで絵のことは御免蒙って日本から来た僕宛のカワセが紛失した話を一つ書くことにします。これはパリなどへ送金する上にあるいはまた参考になることかとも思いますから、講談ぐらいのつもりで読んでもらえば結構です。
僕がちょうど南仏ニースの近くのカーニュにいた時です、ここはルノアール翁の別荘があって、地中海に面した暖かい避寒地で日本の画家達も冬になると、よく集まってくる土地です。当時も正宗氏や硲君も来ていました。そこのオテルデコロニーという安宿に皆泊っていて、盛んに毎日その附近に橄欖の林や美しいシャトウや田舎道などを熱心に描いていたのでした。仕事をしない日は散歩をしたり美しい枯草の丘で日なたぼっこをしたり、ストーブに薪を焚いて話しこんだり、まったく長閑な月日を送ったものでした。そのうちにお正月が来ました。二月の末から僕はイタリアへ旅をする計画を立てて、日本からの送金を待っていたのです。もちろん僕宛の手紙類はパリの日本人クラブ宛で来ることになっていました。そこには僕の友人がいるからです。そしてカーニュの方へ転送してくれるのでした。
二月のある日日本からの手紙を受け取ったので開いてみると普通の手紙の中から為替の副券が飛び出しました。手紙の文句によると、本券はよほど以前に書留でもって発送したが受け取ったかと書かれてあるのでした。しかし僕はそんな覚えはないのでこれは必然、何か便船の都合か何かで前後したものかくらいに思って気にも止めなかったのですが、何しろ旅を急ぐものだからこの副券で金を引き出そうと考えたのでした。金は当時の相場に換算して一万フラン余りのものであったのですから、大いに元気づいたわけです。近くのニースの町にあるパリの銀行の支店へ出かけ、その帰途クックへ寄ってイタリア行きは一等の寝室でも予約してやろうぐらいの意気込みで出かけたのです。
変なことのある時には予感というものがあるものですね。ニースの町へ到着して銀行の正門を入ろうとすると、門衛は鉄の戸をピタッと締めてしまったので、僕は思わず「何でヤ」とウッカリ大阪弁を出したのでした。この大阪弁がフランス人の門衛によく通じたものとみえて、時計を指さして示しました。見るとちょうど四時なのでした。ナルホドと思って引退がって帰りました。翌日は今日こそと思って昼めしを早くさせて慌て…