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十歳以前に読んだ本
じっさいいぜんによんだほん
作品ID3609
副題――明治四十五年六月『少年世界』の為に――
――めいじよんじゅうごねんろくがつ『しょうねんせかい』のために――
著者坪内 逍遥
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆36 読」 作品社
1985(昭和60)年10月25日
入力者渡邉つよし
校正者門田裕志
公開 / 更新2001-09-12 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は過去を語るのが強ち嫌ひといふ訳でもないが、前へ向つてする仕事が比較的忙しかつたので、曾て昔話をしたことが無い、随つて古い事はずん/″\忘れてしまつた。さうでなくとも、地体が記憶力の弱いはうで、忘れる事につけては名人なのだから、爰にかういふ題を掲げて見たものの、ねっから何も思ひ出せない。併し、若し其忘れっぽい私ですら、今尚ほ覚えてゐるといふ、十歳以前の熟読書といつたやうなものがあつたら、それは何等かの意味で注意するに足ることかも知れない。
 私は十歳以前は、美濃の太田といふ尾張藩の代官所で育つた。其頃はちょうど維新の真最中でもあり、十人の同胞中の一番末の子であつて、比較的甘く育てられて、怠け者でもあり、処は田舎でもあり、かた/″\で、十一歳の年に名古屋へ移住したまでは、殆ど何等の規則立つた教育といふものは受けたことが無かつた。寺子屋へ通つたのさへも、名古屋へ移つてからのことである。習字や素読さへも、最初は兄に、後には姉婿に教はつたのみであるから、教へるはうも不規則、習ふはうは尚ほの事、互ひに気儘や我儘が勝つので、厳しく叱られて泣面になつたことの多い割合には、習ふことが身に沁みず、只ぶら/″\と月日を過し、閑さへあればたわいもない、くだらん本ばかり読み耽つてゐたものである。併し今になつて考へると、其頃目に触れたくだらない本が、今尚ほかすかに幾らかの印象を残してゐるのみでなく、私の過去数十年間の仕事に、自分では心附かなかつたけれども、始終何等かの影響を及ぼしてゐたやうに思はれるから、おそろしい。
 其頃目に触れた本で、今尚ほおぼえてゐるのは、第一に『実語経』、『孝経』、『大学』、『論語』、無論、これらは厭々素読を教はつたばかりだが、何百度と読まされたので、文句には今なほ微かに其頃の記憶が残り、『実語経』だけは粗ぼ意味も解してゐたと思ふ。それから『百人一首』。これは古風な大形本で、画は西川派風であつたと記憶する。多分五六歳頃の最愛玩書であつたらう。山辺の赤人でも、柿本の人丸でも、坊さんでも、女でも、其頃は目か鼻か口元か烏帽子の尖か衣裳の端かを見せられゝば、直ちに其名を指し得る程に目覚えがあつた。次は英泉、北斎、其他の漫画本。要するに、読むよりも見るはうが好き、目で見たことはよく覚えるが、単に耳から注込まれた事は容易に呑込まぬ鈍根、若しくは気の散る性質であつた。
 まじめな読書は嫌ひであつたが、草双紙は七歳頃から読みはじめた。其以前は母や兄に絵解を聴くのが日課のやうになつてゐた。自身で読んだ最初の小説は、今表題は忘れたが、松亭金水作の稗史である。草双紙ではない。「釈迦八相」の翻案、中本仕立の読み本である。挿絵なども尚ほ目に残つてゐる。悉達太子と提婆とが武芸争ひをする条を読んだのが、全く初読である。それが皮切で、それからは手当り放題に色々なのを読んだが、最も愛読し…

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