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日本国民の文化的素質
にほんこくみんのぶんかてきそしつ
作品ID3618
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第九卷」 筑摩書房
1969(昭和44)年4月10日
初出「日本及日本人 第百八十三號、第百八十四號」1929(昭和4)年8月15日、9月1日
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-12-12 / 2016-04-20
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今日申します演題は「日本國民の文化的素質」斯う云ふ風な事を申上げることに致しましたのですが、私は此の問題は前から種々考へて居りますけれども、もう少し悠り考へを纏めようと思ひまして、今日迄何處でも之に就いて講演したこともありません。此の中の極一部分の事に就ては、多少言つたことはありますけれども、大體此の問題に就いては講演したことはありません、勿論まだ私の考へも十分はつきり纏まつて居ないのであります。又十分はつきりした詳しい材料の蒐集も出來て居りませんが、此の會が幸に杉浦先生の記念の會でありますから、兎に角斯う云ふ問題を、恐らく先生が生きて聽いて居られても、お叱りは蒙るまいと思ひまして、斯う云ふ問題の最初の講演を試みて見度いといふので、それで斯う云ふ題目に致しました。まだ十分考へを練つて居りませんから、定めし論旨にも支離滅裂の事があり、お聽き苦しい所もありませうし、御非難の點もあるかとも思ひますが、それは御遠慮なくお訊ねを願ひます。さうして私もだん/\之に關する考へを纏めて見度いと思ふのであります。
 此の數年前から考へましたことは、凡そ國民の文化的の素質、即ち或る國民が文化を持つべき素質があるかどうかと云ふ事を考へるに就て、之を吟味する方法が先づ第一に考へらるべきであるといふことであります。今日でも世界に色々な國がありまして、各々相當な文化を持つて居りますが、然し其の根本から自分の國で自分の文化を發生して居る國民と、さうでないものとがあると思はれます。日本などは時として此の後の方の、文化を持たない國民の樣に誤解される傾きがあるのであります。現に日本には支那の留學生が澤山來て居ります、支那の留學生は盛んに日本に來て研究した揚句、往々にして輕蔑した考へを持つて居ります。それは何かと申しますと、日本は今日大いに進歩した國のやうに自惚れて居るけれども、日本と云ふ國は元來維新前迄は、自分の國即ち支那の文化を取り入れたのではないか、さうして明治以後になつてから歐羅巴の文化、殊に最近に於ては獨逸の文化を丸呑みにして居るのではないか、何も自分の文化を持ち得ない國民で、少しもそんなに尊ぶには當らない、日本が非常に勢力が強くて盛んでも、若し之が亡びたら、後には何も殘らない國であるが、自分の國は大したもので自分の文化を持つて居る、自分等の持つて居る文化は、今日の進歩して居る國、古來進歩したどの國に比べても決して劣らないものを持つて居る、其の點で日本よりも遙かに自分等は優秀な國民だと云ふ事をいふ者が多くあるのであります。之は相當な理由のあることでありまして、日本の眞の歴史、つまり眞の文化の根本を知らずに日本の事を考へると、確に斯う云ふやうな考へになり得るのであります。然し私は左樣ではないと信じて居るのであります。が、然しさうでないと信じた所で、それを立證すべき確かな事がなくてはなら…

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