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婦人改造の基礎的考察
ふじんかいぞうのきそてきこうさつ |
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作品ID | 3639 |
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著者 | 与謝野 晶子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「与謝野晶子評論集」 岩波文庫、岩波書店 1985(昭和60)年8月16日 |
初出 | 「改造」1919(大正8)年4月 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2002-06-10 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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改造ということは最も古くして併せて最も新らしい意味を持っています。人生は歴史以前の悠遠な時代に一たび文化生活の端を開いてこのかた、全く改造に改造を重ねて進転する過程です。男子は巧みにこの過程に乗って、その個性を開展し、幾千年の間に男子本位に傾いた文化生活を築き上げました。とかくこの過程に停滞し落伍する者は女子でした。人生の幼稚な過程に動物的本能がまだ余分に勢力を振っていた時代――腕力とそれの延長である武力と、それの変形である権力とが勢力を持っていた時代――では、すべての女性が男性に圧制されて、従属的地位に立たねばならなかったことは、やむをえなかった歴史的事実だともいわれるでしょう。しかしこれがために女子はその人格の発展を非常に鈍らせ、かつ一方に偏せしめてしまいました。それは蜂の女王が生殖機関たることに偏した結果、それ以外には畸形的無能力者となったのに喩えても好いような状態に堕落してしまいました。『時事新報』の一記者が近頃その「財界夜話」の中で引用されたリバアブウル大学副総長の言葉の如く「国家が人民の半分だけを(即ち男子だけを)社会的、経済的、並びに公共的の業務に就かせている限り、強かるべきはずの者(即ち女子)も弱く、富むべきはずの者(即ち女子)も貧しいのだ」という状態になったことは、女子ばかりの不幸でなく、引いて人類全体の不幸であったのです。
今は世界の女子が前後して自覚時代に入りました。今日にいう所の改造は全人類の改造を意味し、これに女子の改造の含まれていることは言うまでもありません。唯だ問題は如何に改造すれば好いかという点から始まります。
この点について、私は初めに「自我発展主義」を以て改造の基礎条件の第一とする者です。人間の個性を予め決定的に一方へ抑圧することなく、それを欲するまま、伸びるまま、堪えるがままに、四方八方へ円満自由に発展させることが自我発展主義です。人間の個性に内具する能力は無限です。一代や二代の研究でその遺伝質が決定されるものでなく、その人の自覚及び努力と、境遇の変化とで、どんなに新しい意外な能力が突発し成長するかも知れません。ラジウムと飛行機との発明を見ただけでも、過去において予測しなかった創造能力を現代人が発揮したことに驚かれます。殊に女子はいまだ開かれざる宝庫です。過去において、その自我発展を沮止されていただけに、男子本位の文化生活に見ることの出来なかった特異な貢献を齎すかも知れません。今日のように非戦論が勢力を持つ時代となっては、男子の腕力に代って、女子の心臓の力が大に役立つことになって行くでしょう。それはいずれにもせよ、私は実にこの新理想的見地から、旧式な良妻賢母主義にも、新しい良妻賢母主義――即ち母性中心主義――にも賛成しない者です。
誤解されないためにいって置きますが、これまでからも私の述べている通り、私は妻たり…