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非人道的な講和条件
ひじんどうてきなこうわじょうけん
作品ID3641
著者与謝野 晶子
文字遣い新字新仮名
底本 「与謝野晶子評論集」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日
初出「横浜貿易新報」1919(大正8)年5月25日
入力者Nana ohbe
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-06-10 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 政治家や実業家は便宜主義を重んじる習慣の中に生きています。便宜主義は一時的のものです。それが必ずしも正義と一致して永久の価値を持っているとは限りません。否、むしろ正義に背いている場合の多いのが便宜主義の特色です。
 現代では、便宜主義の習慣から解放されていると否とで、真の政治家であるか、真の実業家であるか否かが判断されます。目前の功利さえ挙げれば、その行為が道理に合っても合わないでも構わないという態度は時代遅れです。
 政界や実業界には、こういう時代遅れの態度を持った人たちがまだ全く勢力を占めています。彼らは個人的にも国家的にも、唯だ利己主義的な欲望さえ満足すれば好いので、それ以上の高遠な理想を持っていませんから、正義は要するに鬼の空念仏であって、実際に利己主義を貫徹するためには、如何なる厚顔無恥な手段をも採り、正義に対する反省も、自己の食言に対する羞恥も、全く思料の外に抛擲してしまいます。
 昔から便宜主義に反対する者は学者と芸術家です。世を挙げて目前の利害を追うに急であっても、せめて学者と芸術家だけは便宜主義の習慣から超越して、常に正義人道の主張者であり擁護者であって欲しいと思います。それでこそ思想家や詩人は人類の指導者たることも出来、進化して止まない人文生活の冒険者たることも出来るのです。
 私は今日まで人道平和の理想を基礎としかつ国際連盟を前提とする講和会議を期待していました。かつてウィルソンの十四カ条を読んだ時から、今度の講和は従来のそれとは全く異って、――戦勝的国家と戦敗的国家との間に、一方は強圧を以て望み、一方は屈辱を以て対するという関係でなく、――連合国側の人民と独墺側の人民とが互に敵味方の国境的、階級的、差別的、尊卑的の感情を忘れ、戦勝者の持つ復讐心や侵略思想を綺麗さっぱりと抛ち、戦敗者の持つ自卑自屈と僻みとを一切捨て去って、愛と正義と自由と平等との中に、どの国民もねたみ恨みなくのびのびした文化主義的生活を未来に発展し得ることを条件とした講和の成立を望んでいたのでした。
 しかるに何という怖ろしい事でしょう。連合国に依って提示された講和条件は、世界に文字があって以来どの国の書物にも書かれたことのない、人間の持っている極度の復讐心と、極度の貪欲心と、極度の虐殺思想とをさらけ出したものだと思います。
 敵を愛せよという基督教の思想は何処へ行ったか。仏蘭西の自由、平等、博愛の三大思想は何処へ行ったか。英国流の紳士的道徳と米国流の人道思想とは何処へ行ったか。この講和条件の中には、戦争中に歓迎された露西亜流の無併合、無賠償説の影響のないのは勿論、ウィルソンの堂々たる十四カ条の痕跡さえ留めていないではありませんか。
 かつて戦争中に公にされたウィルソンのいくつかの宣言の中には、連合国は専ら独逸の軍閥政府と軍国主義とを敵とし、それを撲滅するために戦うも…

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