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わし
作品ID3678
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の怪談(二)」 河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日
入力者Hiroshi_O
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2003-08-17 / 2014-09-17
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 土佐の海岸にあった私の村には、もうその比洋行するような人もあって、自由主義の文化はあったが未だ日清戦役前の半農半漁の海村のことであるから、村の人の多くの心を支配したものは原始的な迷信であった。
 聖神と云う無名の高僧を祭ったと云う社の森には、笑い婆と云う妖婆がいて人を見ると笑いかけたが、笑いかけられた者はその妖婆の笑えなくなるまで笑わないと病気になって死ぬのであった。は、は、は、と云って笑う妖婆の声は山に反響をかえした。その聖神の社の近くにある楠の大木は伐ろうとして斧を入れると血が滴り、朝になるとその切口は癒えて痕が判らなかった。聖神の東になった山のはずれには、三味線松と云う幹の曲りくねった松があった。其処からは時とすると三味線の音が漏れた。その三味線松の近くには眼も鼻もない怪人があらわれることがあった。某日の黄昏隣村から帰っていた村の女の一人は、眼も鼻もない怪人のことが気になるのでこわごわ歩いていると、前を一人の女が往っている。村の女はよい道伴ができたと思ったので、急いで追ついて話しかけ、「此処は眼も鼻もないものが出ると云いますから、こわくてこわくて困っておりました、どうかいっしょに往ってくだされ」と、云うと前を歩いていた女は、「ありゃ、わたしかよ」と云って揮り向いたが、それは眼も鼻もないのっぺらな顔であった。
 大井の小路と云う小路には夜よる馬の首が飛ぶように走っていた。夜海岸で投網を打っていると大入道が腰の籃を覗きに来た。七つさがりに山に往って木を伐っていると鼻の高い大きな男が来た。その大きな男は天狗であったから木を伐りに往っていた者は病気になった。八番のあれと云う地曳網の網代になった処には、曇ってどんよりとした夜には陰火がとろとろと燃えた。
 高知市の北になった法華堂と云う山の方から飛んで来る陰火は、新しいおろしたての草履の裏に唾を吐いて、それで「法華堂の陰火よう」と、云って招くと陰火は見えていてもいなくても必ず傍へ来て燃えた。その陰火は法華堂のあたりで大事な手紙を無くして斬られた飛脚の魂で、今にその手紙を尋ねているので、「状がここにあるぞう」と、云って呼んでも来るのであった。
 神の峰であったか陽貴山の山であったか、其処には陰火が山をぐるりととり巻くことがあって、それを見た者は必ず死んだ。陰火は到る処に燃えもすればふうわりふうわりと飛びもした。
 狸も人をたぶらかした。村の老人が通っていると、狸が木の葉を身につけて人間に化けているので、「そんなことでは駄目だ、こういうふうにしろ」と、云って狸を欺して袋に入れ、殺して汁にたいたと云うこともあった。
 しばてんが麦のかさうれ時に出て、夕方野に遊んでいる小供を伴れて往った。そのしばてんは小坊主になって人が通りかかると、「相撲とろか、相撲とろか」と、云っていどんだ。小坊主の癖に生意気だから投げ飛ばしてやろ…

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