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思い出すかずかず
おもいだすかずかず
作品ID3702
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「学友会雑誌」27号、誠之小学校、1921(大正10)年12月15日発行
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-06 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十一月の中旬に、学友会の雑誌が出る。何か書いたものを送るようにと云う手紙を戴いた。内容は、近頃の自分の生活に就て書いたものでもよいし、又は、旅行記のようなものでもよいと、大変寛大に視野を拡げて与えられた。けれども、こうしてペンをとり、紙に向って見ると、自分の気持は、真直「誠之」という名に執着して行って、どうも他の題目が自然に心に受取られないのを知った。学校を出てから、考えて見ると、もう足掛十年になる。弟が校門を去ってからでさえ彼此六七年にはなるだろう。女学校へ入って間もなくあった校友会に出たきり、私は、文字通り御無沙汰を続けている。我々の年代にあっては、生活の全感情がいつも刻々に移り換る現在に集注されるのが自然らしい。日々の生活にあっては、今日と云い、今と云う、一画にぱっと照りつけた強い光りにぼかされて、微に記憶の蠢く過去と、糢糊としての予測のつかない未来とが、意識の両端に、静に懸っているのである。有のままをいえば、遠く過ぎ去った小学校時代を屡々追想して、その愛らしい思い出に耽るには、今の自分は、一方からいえば余り大人になり過ぎ、一方からいえば、又、余りに若過ぎる時代にある。丁度、女学校の二三年頃、理由もなく幼年時代をいつくしむような感傷は、もう私からは離れた。それかといって、多くの女性が、自分の娘の幼い通学姿を眺めて、我知らず追懐に胸をそそられるだろうような場合は、未だ自分にとっては未知の世界に属する。若しかすると、折々記憶の裡に浮み上るその頃の自分が、我ながら無条件に可愛ゆいとは云いかねるような心の容を持っているために、一層気持がこじれるから、兎に角、平常、自分の小学校時代、誠之、というものは、密接な割に意識の底に沈められて来たのである。
 ところが、校友会の仕事に就て聞き、種々な連想が湧起ると、私の心持には微妙な変化が行われた。何か書き度いという気になったのさえ、そこには何か、捨て難い絆、縁のある証拠ではないだろうか。
 書きながら、私は霧かとでも思うような何ものかが、仄かに胸を流れ去るのを感じる。彼方が、はっきり心像の中に甦った。黒い木の大門が立っている。衝立のある正面の大玄関、敷つめた大粒な砂利。細い竹で仕切った枯れた花壇の傍の小使部屋では、黒い法被を着、白い緒の草履を穿いた男が、背中を丸めて何かしている。奥の方の、古臭いボンボン時計。――私は、通りすがりに一寸見、それが誰だか一目で見分ける。平賀だ。大観音の先のブリキ屋の人である。
 玄関の傍には、標本室の窓を掠めて、屋根をさしかけるように大きな桜か、松かの樹が生えている。――去年や一昨年学校を卒業なさった方に、これがどこの光景だか分るでしょうか。私が毎日毎日通った時分、誠之は斯様に黒い木の門と、足の下でザクザクいう玄関前を持ち、大きなコの字形に運動場を囲んだ木の低い建物で出来ていたのです。
 …

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