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行く可き処に行き着いたのです
いくべきところにいきついたのです |
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作品ID | 3706 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社 1981(昭和56)年3月20日 |
初出 | 「婦人界」1921(大正10)年12月号 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 磐余彦 |
公開 / 更新 | 2003-11-06 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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私はあのお話をきいた時、すぐに、到頭ゆくところまで行きついたかと思いました。私はあの方と直接の交際をしたことはなく歌や人の話で、あの方の複雑な家庭の事情を想像していただけですが、たとえ情人があってもなくても、いつかはああなって行くのが、あの方の運命だったのでしょう。あんなに歌の上では、自分の生活を呪ったり悲しんだりしているが、実生活の上では、まだ富の誇りに妥協して、二重な望みに生きているのだという気がして、私はいつでも、あの方の歌を拝見する度に、ある小さな不満を感じて居りました。が、今度の事件をみますと、しみじみ女としての理解と同情の念が湧いて来ました。女は夫を持てば、誰しも夫に愛されたいことばかりを考えますのに、家出をしたからとはいえ、「我儘者だ」とか「何も取柄のない女だ」などと平気でそんな毒口をきくような良人との間に、どうして純粋な清い愛があったといえましょう。こういう複雑な問題は、単にああなったことを、いいとか悪いとかというたような、世間並な批評は通用しないでしょう。夫人がこういう思いつめた最後の手段を取るまでには、どれくらい人知れぬ煩悶を重ねたことでしょう。私はただ人間としてあの方の境遇を非常にお気の毒に思います。今度のことは決して浮っ調子な、大勢の人々のひまつぶしな冗談として、ききすてることの出来ないことだろうと思います。
〔一九二一年十二月〕