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大切な芽
たいせつなめ
作品ID3841
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「女性改造」1924(大正13)年6月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-15 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は、友情というものに多くの夢をかけている者だ。どうかして一人でも一生の間には、これこそ自分の心の友として悦びや悲しみを倶にし得る人を得たいと常に思っていた。けれども、子供の時から私の生活は両親の保護でぐるりととりまかれ、その状態が長く続いたので、本当に自分の感情を流露させて深く交際する人を見出すことは難しかった。一つには、性格の傾向や趣味の問題もある。何かで読んだ通り、こちらで求めるときには、却ってよい友などは見つからないものなのかもしれない。一時、私は同性間の友情に、随分悲観的な見方をしたことがあった。女学校時分に相当親しかった友達などでも、だんだん時が経ち、生活の様子が異って来ると、どうもぴったり心が喰い合わない。正直なことをいうと感情を害し、自己の生活などを全然客観し得ない、あるままの而も綺麗なよそ行きな部面だけを照し合わせていき合って行かなければならないのは、私にとって苦痛であり、物足りなさが増す一方であった。
 私は、それにいろいろ理窟をつけて考えて見た。女というものは、概して自分を発育させ、宏い確かな地盤の上で生きようとする本能的な熱意が男より少いのではないか、家が幸福で兄妹でもあって育てば、友達を求める切な望みは起るまいし、大きくなって結婚でもすれば、良人に承認されるだけの自分で大抵安心を得てしまう。友達との関係は第二次的のものになる。良人同士の社会的地位などが若し互の意識に這入りでもすれば友情は衰弱するばかりであろう。
 仕事を持たない人、これだけは一生かかってどうにかしようという一つのものを持たない人は、その点呑気であると思った。仕事をするのは独りぽっちの業であると知っても、時々心の底を打ち破って思うだけを話し合う友達が欲しい。仲間が欲しいというのが適当であろう。趣味、余技などというなまやさしいところを抜け、百姓ならば汗だくだくになって振った鍬を一休みし、額や頸でも拭きながら腰を延して「やあ、どうだ、うまく行くか」と声をかけ合う、そういう交りが実に実に欲しいのだ。
 男の人は誰でもそういう友達がある。女は、なかなかそういう友達は見出せない。それ故、女性で一つの特殊な道に進む人々、画家でも、(音楽家は数の多さから見て他の部門よりはましだろうと想像する)創作家でも孤立的な場合が多い。考えればつくづく寥しいことだ。そして、そういう孤立的な少数の女性は、一人や二人しんから解り合う友もない程、女性の世界は狭小で未熟である、自分の生れた国の乏しさを歎くより、とかく孤立の程度を自己の卓越の程度と同一視する。侘しい限りだ。
 私は、四五年来、何処からかいつか相ふれて来るだろう友を待つことが切であった。近頃その宿望がやっとそろそろ日の目を見るようになって来たらしい。私は近いところに(感情の距離からいって。妙な表しかただけれども。)二人、それより一寸はなれ…

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