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蓮花図
れんげず
作品ID3887
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「アサヒグラフ」1927(昭和2)年9月7日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-27 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 志賀直哉氏編、座右宝の中に、除熙の作と伝えられている蓮花図がある。蓮池に白鷺が遊んでいるところを描いたものだが、花をつけた蓮に比べて白鷺が大変小さいように描いてある。いかにも大きく古き蓮池に霊のような白鷺の遊ぶ趣が幽婉に捕えられている。蓮花の茎が入り乱れて抽でている下に鷺を配したところも凡手でなく、一種重厚な、美を貫く生の凄さに似たものさえ、その時代のついた画面から漂って来るのだ。

 その絵から私は強い印象を受け、こうやって書いていても、黝んだ蓮の折れ葉の下に戦ぐ鷺の頸の白い羽毛を感じる。――その絵の中に一本の蓼がある。蓮の中から高く空中に花を咲かせている。不思議な奥深い寂寞の感じは、動かぬその蓼の房花によって語られているかと思われる。
 ところが、偶然その蓼の花を、今年は近く毎日眺め暮すことになった。
 私共の家の裏に、一軒小さな家がある。そこに一人のお爺さんが暮していた。私共が引越して来た以前から住んでいた人で、隠居住居らしく、前栽にダリアや豌豆などを作っている。夕方まだ日があるのにポツと一つ電燈が部屋の中に点いているのなど、私の家の茶の間から樫の木の幹をすかしてよく眺められた。一人で、さっぱりした座敷の真中に小机を持ち出し書類を調べているひっそりした姿も見た。女気がない。
 時々、若い女の人が前栽に見えたり、
「たくさん買っていらっしたのね、おじいさん、五十銭!」
などという声が聞えた。土曜から日曜にかけては、男の児が遊びに来た。尺八を吹く男の人も来たし、犬も来る。賑やかなのは一時で、然しじきもとの独り住みの静けさに戻る。ダリアの盛りの頃、私共はその若い女の人から一束の美しい花を貰った。夜にでもなれば、互に互の灯かげを眺めて暮しながら、そうはかばかしくは口もきかない、そういう交際のうちに、三月ばかり前、突然おじいさんは引越しをしてしまった。
 そこがおじいさんの隠居所で、永く住む人と思っていたのが或る朝荷物を運び出し、やがて人夫が来て物干の杙を倒し始めた。人夫が働くのがひどく淋しかった。生活がそこにないという前の棲み主の心持が露骨に働いているようなのであった。

 丁度、今年の若竹が育つ盛りの時分で、おじいさんの庭にもはぐれて生えた数本の若竹があった。日毎に、日の光を梳いてあつみの増すそれ等の若竹の葉越しに、私共は毎日雨戸をしめた裏の家の軒下を眺めて暮すことになった。
 入梅があけると、空家の庭に苔がつき、めっきり青草が伸びた。雨戸はしまったままだ。
 夏になったので、何処かの子供が、空地を見つける子供の本能で早速その叢へ躍り込んで来た。豌豆の手に立ててあった細い竹ぎれを振廻す男の児の裸の腹。
「アラ! いた、いた」
 草の葉を掻き分け、見えたり隠れたりする小娘の赤い兵児帯。――
 子供の心にも、白々と雨戸のしまった空家は、叢が深ければ深いだけ、フ…

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