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男が斯うだから女も……は間違い
おとこがこうだからおんなも……はまちがい
作品ID3890
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「読売新聞」1927(昭和2)年11月30日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-27 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 これからは男性とか女性とかいう風に相対的にものを考えることが少くなりましょう。それは私だって女房であった頃には自分の夫に対してはああも、こうもと思いましたが、此の頃は男性対女性というような事でなしに、ひっくるめて人間というものについて考えています。

 よく貞操のことで男が道楽するなら女だって――というようなことを聞きますが、私はもうそんなことは下の下だと思います。それは私にしてもやきもちもやけば、こっちの気心も知らないで――と腹の立つ事もありましょうけど、道徳の根本問題は何も人がこうだから自分もこうだというのではないからそこからもう一歩踏み込んで、なぜ道楽をするようになるかという所まで究めたいと思うのです。

 そうなるとオフィースや家庭の問題になって一人の男の情熱を打込ますだけのことがなぜ出来ないかということになりましょう。

 道楽をしたからっていい人もあるし、又しないからって随分ひどいやつもあるのですからね。男も間違ってるかも知れないが、女だって随分ウカウカと日を暮らしてる人が多いのですから……

 女性にとって男性は或る場合は夫であり、またパアトナアであり、また友人であったりしますが、現在ではそれぞれの位置は機械と同じことで同じ生活の循環をやっているのです。古いものが棄てられて新しいものが――といっても気持の統計がとれるものならば、結婚など真に新しい気持でやっている人は極僅だと思うのです。

 結婚する女の人達にしても、それが、つまらないと分っていながら、どっちにしても同じことだというような気持から疑いながらも、その根本をきわめないで循環の生活を送るようになるのではないでしょうか。
〔一九二七年十一月〕



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