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作品ID | 3917 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社 1981(昭和56)年3月20日 |
初出 | 「中央公論」1936(昭和11)年6月号 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 磐余彦 |
公開 / 更新 | 2003-12-03 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 19 ページ(500字/頁で計算) |
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二月二日に父の葬儀を終り、なか一日置いた四日の朝、私は再びそれまでいた場所へ戻った。初めてそこへ行った時と同じ手続で或る小部屋へ入り自分の着物は一切脱いで、肌へつける物から洗いさらした藍い物ずくめになり、沢山並んで夫々番号のついている扉の一つの中に入って坐った。
私が、全く突然、父の死を知らされたのは一月三十日の午後三時頃のことであった。遮断されていた生活からいきなり激動の三日間を暮し、再び切れ目のない単調な寒さの中にかえって来て縁のない畳が三枚しいてあるところへ坐ると、堪え難い疲労が襲って来た。張りつめた寒さと痺れるような睡たさとで、私は坐ったまま居睡りをし始めた。丁度その時分から雪が降り出し、私が何かの物音で薄目をあけ、ついでそういう生活の条件の裡ではいつとなし習慣となっている動作で左手の高い窓を見上げると、細かい金網の網目のむこうで雪は益々盛に降りしきっている。次の日とその次の日、私は寝床についた。夜と昼との境もなく眠りつづけて、眠る間に目がさめて窓を見るといつ見ても金網のむこうで霏々と雪が降っている。父の真新しい墓標の上にもこの雪が降りつもっている、私は麻痺した頭でそう考えた。中條精一郎墓と書かれた墓標をめぐって、ここで見上げていると同じに雪片が絶え間なく舞い飛ぶ有様がまざまざと目に泛び、優しい、悲しい、同時によろこばしいような感動が鋭く、滲みとおるように胸にひろがった。ひどく降るのが二月の勢のいい雪であることが、何だか大変父の生涯や互に持っていた愛情に似つかわしく思われるのであった。
一週間程経つと、私は日常のこまこました行事に適当の注意を払って生活出来るだけ疲れを恢復した。友達たちから、一枚一枚、悔みの手紙が届くようになった。或る時はそれを受とりに立ったままの姿勢で、或る時は板壁に向って作りつけてある小机に向い、それ等の一枚一枚を私は貪るように繰返し読むのであったが、文面に真心をこめてのべられている弔辞と、自分の胸に満ちている情感とにどこか性質の違うところがあるのを感じ、特にそのことは公衆電話のボックスのような窮屈な箱に入って悔みに対する返事の手紙を書こうとする時、一層つよく自覚されるのであった。
いかにも父の亡くなりかたは急であった。父自身死ぬとは思っていなかったろう。一月九日に父は妹娘をつれて箱根の富士屋ホテルにいたのだそうな。そこで血尿の出るのを見つけて、慶応義塾大学病院へ電話をかけ、そのまま東京駅から真直ぐに小旅行の手鞄をもって入院した。父は休養のつもりであった。腎臓に結石のあることを診断した医師達も、そう急変が起りそうな条件は見出していなかった。六十九歳まで生きた父がもう生き続けていられなくなった生命の不調和は、亡くなる日の午後まで元気とユーモアに充ちていた丸々した体内に震撼的に現れたのであった。
私は一月の半ばごろ面会に来た…