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映画
えいが
作品ID3928
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「若草」1937(昭和12)年4月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-03 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 雨傘をさし、爪革のかかった下駄をはいて、小さい本の包みをかかえながら、私は濡れた鋪道を歩いていた。夕方七時すぎごろで、その日は朝からの雨であった。私は、その夜手許におかなければならない本があったし、かたがたうちにいるのがいやで、外に出て来たのであった。自分が親切と思ってしたこと、そのことが思っていたような結果としてはあらわれず、自分が自分の親切に甘えたということばかりが思い当るような気持のことがあって、私はうちにいたくなかった。そして、雨の外を歩いていた。
 いろいろの心持を感じながら歩いていて、或る通りのわきに出たら、そこの映画館の方で頻りにベルが鳴りつづけている。割引のしらせである。
 思いついて、私は一つの広い改正道路を横切って、銀映座の前へ行った。雨傘をさして外套の襟などを立てた黒い人の列が、そう大して人通りのない横丁のこっちの端までのびている。列のなかには派手なマフラーをした若い女のひともいたりして、傘が傾くと、別に連れもないらしい白い顔がぽつねんと見える。まだ切符は売り出していないのであった。
 その時間からは、「女人哀愁」というのとニュースとが見られるわけである。私は特別にその映画を目ざして行ったのではなかったが、観てもいいという心持で、列の最後の方にまわって傘をさしたまま往来に立っていた。
「ちょいと、まだ大丈夫よ! ホラ、見なさいってば……」
 その横丁へどこかの家の裏口が向っていて、そこのガラス戸が開き、そこから女の首がのぞき、高い声で姿の見えない誰かに云っている。その女の顔は、うしろから灯かげがさしてアスファルトの上に落ちているから、こっちからは見えない。
 一番おしまいであった私の後に、若くもない男が又来て列についた。人数は疎らだのに、さしている傘ばかりが重なり合うようで、猶暫く立っていたら、その横丁へ自動車が入って来て、おとなしい人の列を道路に沿ってたてに押しつけてしまった。
 私は、一人でそんな風にして偶然映画を観ることがよくあるが、その気分は気のあった友達とつれ立ったりして観る時とまるきり違って面白いものがある。
 何年も前モスクワに暮していた時分には、よく夜ひとりで近所の映画を観た。部屋に友達を一人でおいてやるためには外へ出なければならなかった。あっちは一時間半ぐらいで循環する。私のよく行ったところは小さい映画館だもので、下の食糧品店は夜になるとすっかり暗く閉っている。わきの方にチラチラとイルミネーションのついた看板が淋しく一二枚出ている狭い入口があって、そこから階段をあがって行くと、二階が映画館になっているのであった。
 冬だと、誰でも靴の上にもう一つ重ねてフェルトの厚ぼったい防寒靴をはいて外を歩くのだが、ところによると映画館でもそれを脱がなければならないところがある。そして、下足に預ける。皆がそれをやるからひどい混雑でい…

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