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まちがい
まちがい
作品ID3963
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「新風土」1939(昭和14)年12月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-12 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夜の八時ごろ、お隣の女中さんが柿の木の彼方から、お電話ですと呼んでくれた。出てみたら弟の家内で、いそがしいところ呼び立てて御免なさいね、百合ちゃん、四谷旭町――旭は九に日をのせた旭ね、そこの大久保ってところ知っていて? と訊くのであった。さア、大久保――何なの? すると、きっとわきに六つの甥がいでもするのだろう。セブンなんだけれど、ということである。そこからハガキが来てね、上落合へ一遍行って回送されて来ているんだけれど、お召の著物が一枚五円で入っているのが明日限りで流れるって知らして来たんだけれど。――上落合に住んでいたこともあり、そういうところに縁もなくはないから、あした流れるという言葉に慌てさせる実感があって、私は受話器を耳に当てたままいそがしく記憶の裡をかきさがした。それでハガキにはそれだけ書いてあるっきりなの? ええ。名がちがうんだけれど、中條進方、相川栄様とあるの。栄さんと云えば壺井の栄さんしかない。その栄さんが又互の生活のなかでは、そういう場面に登場するので愈々現実の条件がそろい、じゃ、いつかから見えないって云っていた縞の、ね、あれかもしれない、と私は電話口でその時分の人出入りも激しかった暮しの姿を思いおこした。その頃なら私が知らないその旭町とかに私の著物が運ばれてゆくこともあり得たのであった。でも、利子どの位なの? 七十五銭て書いてあるわ。七十五銭? たった? じゃ変だわ。上落合にいたのは四年も前よ、だもの――変だ、四年にそれだけってことはないし……段々正気づいて来て私は、それは人ちがいに相異ない、と初めて確りした声を出した。四年の間待っているというようなことはあり得ないのだからね。と断言した。それにしても滅多にない姓が同じで、栄さんという名まで添っているというのは何と珍しいことだろう。じゃそこに電話あるんでしょう? 一寸かけてね、間違って回送されて来たから、明日は待って上げてくれ、と云っておいてお上げなさいよ。ええそうしましょう、でも、何て妙なんでしょう。いかにも妙な気がするらしく、ぼんやりとひっぱって云って、じゃ、さようならとそれで電話はきれた。
 裏の小道を生垣沿いにかえりながら、私は何となしひとり笑えて来た。咄嗟に、自分のことにひきつけてあわてたような気持になったのが如何にも女房くさくて我ながら滑稽なのであった。
 三四日してから、或る友達のところへ行ったら、主人は留守で子供もいず、がらんとした茶の間に栄さんがそこの七十のお婆さんと坐っていた。両方から、おや、と云い、ここで会おうとは思わなかったでしょう、と云った。それから二人でおばあさんにお辞儀をしてそこを出て、古本屋によったりしてバスまでぶらぶら歩きながら、私はふっと夜の電話の件を思い出して話した。すると栄さんはそういうときの癖で、一寸足を止めるようにして片方の手のひらをひろげ空を…

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