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歳々是好年
さいさいこれこうねん
作品ID3968
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「輝ク」1940(昭和15)年1月17日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-12 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 新年というものについて抱く私たちの心持も、その年々によって様々ですし、一人のひとの生活の其々の時代によっても又おのずから、異った感想をもつものだということを、近頃感じて居ります。
 お正月という言葉で新年が考えられていた子供の時代からはなれて、二十歳前のころ、ほかの方たちはいかがでしたか、私にはお正月の形式的な挨拶だのしきたりだのが大変つまらないものに思われた時期がありました。お正月なんて、何がおめでたいんだろう。本当にこういう気持でぐるりを眺めました。
 それから数年の間、やはり正月は格別な感じをおこさせずに過ぎましたが、自分としての生活にいろいろの波瀾が生じて、来る一年はどんな内容をもって現れるのか予測もつかないようになってからは、却って新年を祝う気分になったのは面白いことだと思います。来る年を祝福して、よかれあしかれ是好年として積極的に迎える心持になりました。そういう意味から、新年を祝う複雑なしきたりだの、その盛大さというものを考えてみると、どうもこれは苦労人の考え出したものらしく思われますがいかがでしょう。例えば中国の習俗では正月を迎えることは年中行事中、最も賑やからしい様子ですが、それなら中国の村人、市民がこれまでの歴史のなかで常に安穏な月日を経て来ているかと云えば、事実は反対のものとして語られていると思います。日本の私たちは、あながちその習俗を形からとりいれたというばかりでない祖先たちの計り知られざる来る一年への祝福の感情を、どこやらにつたえられてもいるのではないでしょうか。そして、本年の正月などは、殊更その感が深いようです。
 今年はひろい規模で様々の祝典が催されたり、日本の歴史の上での記念すべき年として予定されているわけですが、日常生活が市民一般にあらわしている相貌に於ても、現実的にごく画期的なものをもっているのは興味ふかいところであると思います。私たち普通のくらしのなかにあるものは、珍しい種々の条件のなかで、お正月だけは火※[#「※」は「金へん+床」、読みは「とこ」、564-18]を二つにしましょうね。などというつつましきたのしみをもって、来る一年を迎えようとしているわけです。
 来年はどんな年でしょう。みんなの心にこの声があるだろうと思われます。そして、誰しも先ず体だけは丈夫にしておかなければ、と思うことも同じだろうと思います。文明のごく低かった社会でも、体がもとの暮しが営まれたわけだが、社会の文明の複雑さが或る点に達すると又その体がたよりという事情が全くちがった環境のなかに甦って来ることも、考えさせる点です。
 生きているということが人間にとっては只棲息しているという意味ではなく、歴史を自覚して生活してゆくということであってみれば、私たちが体だけは丈夫にと思う心の中に自然、精神も丈夫に、という思いもこもっている次第でしょう。
 日本が…

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