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![]() いんばいふ |
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作品ID | 397 |
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著者 | 葉山 嘉樹 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「全集・現代文学の発見・第一巻 最初の衝撃」 学芸書林 1968(昭和43)年9月10日 |
入力者 | 山根鋭二 |
校正者 | かとうかおり |
公開 / 更新 | 1998-10-03 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 28 ページ(500字/頁で計算) |
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此作は、名古屋刑務所長、佐藤乙二氏の、好意によって産れ得たことを附記す。
――一九二三、七、六――
一
若し私が、次に書きつけて行くようなことを、誰かから、「それは事実かい、それとも幻想かい、一体どっちなんだい?」と訊ねられるとしても、私はその中のどちらだとも云い切る訳に行かない。私は自分でも此問題、此事件を、十年の間と云うもの、或時はフト「俺も怖ろしいことの体験者だなあ」と思ったり、又或時は「だが、此事はほんの俺の幻想に過ぎないんじゃないか、ただそんな風な気がすると云う丈けのことじゃないか、でなけりゃ……」とこんな風に、私にもそれがどっちだか分らずに、この妙な思い出は益々濃厚に精細に、私の一部に彫りつけられる。然しだ、私は言い訳をするんじゃないが、世の中には迚も筆では書けないような不思議なことが、筆で書けることよりも、余っ程多いもんだ。たとえば、人間の一人々々が、誰にも云わず、書かずに、どの位多くの秘密な奇怪な出来事を、胸に抱いたまま、或は忘れたまま、今までにどの位死んだことだろう。現に私だって今ここに書こうとすることよりも百倍も不思議な、あり得べからざる「事」に数多く出会っている。そしてその事等の方が遙に面白くもあるし、又「何か」を含んでいるんだが、どうも、いくら踏ん張ってもそれが書けないんだ。検閲が通らないだろうなどと云うことは、てんで問題にしないでいても自分で秘密にさえ書けないんだから仕方がない。
だが下らない前置を長ったらしくやったものだ。
私は未だ極道な青年だった。船員が極り切って着ている、続きの菜っ葉服が、矢っ張り私の唯一の衣類であった。
私は半月余り前、フランテンの欧洲航路を終えて帰った許りの所だった。船は、ドックに入っていた。
私は大分飲んでいた。時は蒸し暑くて、埃っぽい七月下旬の夕方、そうだ一九一二年頃だったと覚えている。読者よ! 予審調書じゃないんだから、余り突っ込まないで下さい。
そのムンムンする蒸し暑い、プラタナスの散歩道を、私は歩いていた。何しろ横浜のメリケン波戸場の事だから、些か恰好の異った人間たちが、沢山、気取ってブラついていた。私はその時、私がどんな階級に属しているか、民平――これは私の仇名なんだが――それは失礼じゃないか、などと云うことはすっかり忘れて歩いていた。
流石は外国人だ、見るのも気持のいいようなスッキリした服を着て、沢山歩いたり、どうしても、どんなに私が自惚れて見ても、勇気を振い起して見ても、寄りつける訳のものじゃない処の日本の娘さんたちの、見事な――一口に云えば、ショウウインドウの内部のような散歩道を、私は一緒になって、悠然と、続きの菜っ葉服を見て貰いたいためででもあるように、頭を上げて、手をポケットで、いや、お恥しい話だ、私はブラブラ歩いて行った。
ところで、此時私が、自分と云う…