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小鈴
こすず
作品ID3983
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「モダン日本」1941(昭和16)年3月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-15 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 弟の家内が今年の正月で三十三を迎えた。三十三は女の厄年といわれている。
 厄年というものを迷信的に考えはしないけれど、たとえば女の子の十六歳、十九歳などという年齢を、何か意味あるけじめのように見ることは、その年頃の生理やそれにつれて激しく動く感情の波立ちから、全然根拠が無いとも思われない。三十三という年ごろも、女の生涯からみれば、何かそこに配偶の年や生活環境ということからもかかわって来る様々の変化が予想されないものでもないのかもしれない。日本のしきたりでは、良人と妻とは七つ八つ年が違うのが普通だから、その年ごろの妻たちは大体四十前位の良人をもっているわけで、男の人たちの社会へ向う心持、事業に向う心持、異性に向う心持は、やはり四十歳ごろ一つの変転を経るのが一般らしい。三十三が女の大厄と昔のひとの云ったのは、案外そこいらの機微にふれているのかとも思う。
 昔の生活の輪は女にとってきびしくとも小さかったから、その頃の三十三の女のひとたちは、自分の身一つの厄除けを家運長久とともに、神へでも願をかけ、何かの禁厭をして、その年を平安に送ることに心がけたのだろう。
 暮になったとき柔和な顔を忙しさで上気させている弟の家内の日頃の姿を目に浮かべ、私は何を三十三のお祝にやったらいいだろうと考えながら銀座を歩いた。
 私が十九の時母は紅白の鱗形の襦袢の袖を着せた。三十三もやっぱり鱗なのかしら。私の三十三歳の一年などというものは、はたも自分もそんなことを思うどころでない朝夕の動きの間で過ぎたのであったが、もし本気で厄除けなどを考えだしたら、今年のような世の中を凌ぐ主婦たちに、どんな禁厭が利くというのだろう。それを思うと、今日では女の身の上にも昔の厄の呪文のような輪なんか、とうにもっと大きいものの中にふっ飛ばされてしまっていることが痛切に感じられて、面白く愉快な気持がした。
 私たちの今日の生活では、自分一つの身を安泰に保つ可能などというものが云ってみれば根底から失われて来ている。自分だけで除けられる厄というようなものは、せいぜい健康上の注意位のものだろう。そのことにしても、既に一般的な困難の条件の上に見出される種類のものとなっている。
 正月になってから街へ出た不図した折に、私はある店で小さい鈴を見つけた。財布につける極くありふれた鈴で、赤い緒のちょいとついた一個八十五銭ほどの鈴である。何心なく手にとってその鈴の束の鳴る音を聴いていたら、同じような小鈴ながら中にはいくらか澄んだいい音色のものもあって、可愛い心が誘われた。
 馬だって初荷のときは鈴をつけられる。私の弟のやさしい従順な家内が、あんなに朝から晩まであれこれ心をくばって暮しているのに、腰紐に小さい鈴が一つくっついていて、朝身じまいをするときだの、夜着物をきかえる時だの、何処かでチリリと鳴ったとしたら、やっぱりそれはわる…

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