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![]() ことひら |
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作品ID | 4012 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社 1981(昭和56)年3月20日 |
初出 | 不詳 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 磐余彦 |
公開 / 更新 | 2003-12-21 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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朝、めをさまして、もう雨戸がくられている表廊下から外を見て私はびっくりしたし、面白くもなった。私たちの泊った虎丸旅館というのは、琴平の大鳥居のほんとの根っこのところにあるのであった。廊下から眺める向い側の軒下は、ズラリと土産ものやである。いろんなものが、とりどりにまとまりなく、土産物やらしく並べたてられている。
私たちは、ゆうべ十二時すぎに琴平駅についたとき、くたびれ果てていた。迎えに出てくれた人が、へこたれている私をからかうように、
「宿がすこし高いところなんですが」
と云った。もうすっかり街すじは暗く、暗い街なみを圧して、もっくりとした山の黒い影が町にのしかかっていた。山裾の町というなだらかな感じはしなくて、動物的に丸いようなもっくりした山の圧迫が、額にせまって感じられた。暫く歩いているうちに石段にかかった。すこし石段をのぼって一寸平らなところを行って、又石段になった。ずっと昔、長崎の夜の町を歩いたとき、灯の明るい、べっこう屋のどっさりある通りがこんな石段道であった。ピエール・ロチが長崎を描いている一番美しいところは、お菊が俥にのって、白い小さい彼女の東洋の顔の上に、祭りの夜の町の色提灯の灯かげを次々とうけながらゆくところである。琴平の怪奇なようなぼっこり山の黒いかげの下の真暗な石段道も、そこが四国であれば珍らしく思えた。
石段の数が次第に多くなって黒いぼっこり山の頂近いところに、煌々と電燈を射出している一つの家が見えた。
「一寸おどかそうかな」
若い人はひとりごとのように含み笑いして、
「奥さん、宿やは、あの位のところですよ」
と言った。
「まさか!」
それでも、いくらか怪しいと思いながら、なおいくつか石段をのぼらされ、やがて左側にたった一つ丸い軒燈がついている店の、閉った表戸の前に立った。くぐりをあけて入るとき、近くに大鳥居のあるのが目に止った。鳥居の下なのね、と云った。けれども、それがけさみるこの琴平の、あの忘られない石段のはじまる大鳥居だとは思いあわされなかった。自分たちが泊る宿やを、土産ものやだのお詣りだのの真只中にあるものとして考えられなかったのであった。
お詣りの定期が終ったばかりだそうで、土産ものやの前は閑散であるし、虎丸旅館と大看板を下げたその家もしずかである。朝飯のとき前もってきめられていた方の室へ落付くと、石段町の裏の眺めはなかなか風情があった。古風なその一室は、余り高くない裏の崖を右手にして、正面は屋根ごしに、眺望がひらけている。遙かむこうに、もっくりと、この地方独特に孤立した山が一つ見えていてその前景は柿が色づき、女郎花が咲く細かい街裏の情景である。
私たちの用事は、この町の公会堂にあった。ひるになったとき、先発している人の弁当をもって、私が公会堂へゆくことになった。
「どう行ったらいいのかしらん」
「この石段をお…