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女の学校
おんなのがっこう
作品ID4013
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「学生評論」1946(昭和21)年11月再刊第2号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-23 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 女学校しか出ていない日本の女性に、「学生生活」の思い出というようなものがあるだろうか。女学校というところは、中学校とさえもちがって、いかにも只少女時代という大ざっぱな思い出の中にくり入れられてしまうような気がする。卒業してからの生活も、私たちの時代の娘たちはみんな夫々親の選択による結婚で、すっかり事情がちがってしまうから、友情さえも永くもち越される場合が少いように思える。まして、同級生の中で、いくらか違った生きかたをしたものは、まるで別ものになって、たとえば私は、自分の卒業した女学校の会友名簿からは除名になるという名誉をになっているらしい。らしい、というのは、はっきりそういう通知さえよこさないから。
 こういう一事でもわかるように、大正初頭の女学校の気風は、本当に保守的であったし、個性の特色をよろこばなかった。私の卒業した官立の女学校は、所謂品のよい、出来のよい画一にはめこまれていて、個性のつよさを愛さなかったから、当時の女学生として、力量は無くはなかったのに、社会的に能力を示す人は非常に少い。あとになってからは、大分変化したが。一級の中でも、女の生徒同士の嫉妬や競争を刺戟しないように、ということが先で、専門学校への入学ということやその準備についてなど、教師は全く消極的であった。無事に女学校教育を終らせて、嫁入らせようとしている親の手にわたすのが、一貫した目的であったから、万事が事大主義で、髪の形まで、干渉した。ほんの何年か経ったあとには、すべての女学生はおかっぱとさえなったが、一般がそうなればその女学校の先生たちも決して驚いたり、叱ったりはしない。つまり自分として一定の見識があるわけでないから、「その時の事情」に盲従するばかりであった。私の場合は、受持の女教師がへつらいのある性格の人であったから、いろいろの点で反撥した。
 女学生の時分を思い出して、心から懐しむのは、その女学校の構内の風景である。そして、そこの五年間に、最も私の心につよい影響をもったのも、つまりは、その独特な風景の味ではなかったろうか。

 女学校はお茶の水の聖堂のとなりに、広大な敷地をもっていた。聖堂よりに正門があって、ダラダラ坂の車まわしをのぼると、明治初代の建築である古風な赤煉瓦の建物があった。年を経た樫の樹が車まわしの右側から聖堂の境に茂っていてその鬱蒼とした蔭に、女高師の学生用の弓場があった。弓場のあるあたりは、ブランコなどがある広くない中庭をかこんで女学校の校舎が建てられているところから遠くて、長い昼の休み時間にしか遊びにゆけなかった。低い丘のようになった暗い樫の樹かげをぬけ、丘の一番高いところに立って眺めると、一面の罌粟畑で、色様々の大輪の花が太陽の下で燃え立ち咲き乱れていた。それは、女学生になって初めての夏の眺めで、翌年から、そこに新校舎の建築がはじめられた。
 女学校の…

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