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書簡箋
しょかんせん
作品ID4024
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出不詳
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-23 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 中国の書簡箋というものには、いつもケイがある。けれどもなぜケイがあるかは知らなかった。白文体について作人が書いている文章が「魯迅伝」に引用されている。「古文を用いますと、空っぽで内容はなくとも、八行の書簡箋はいっぱいに埋められるわけであります」ははあと、感服した。古い支那の教養とは何という様式化であったろう!
 こういう極端な様式化が教養の根本をなしたという事実の半面には、氾濫的な生活力の横溢があり、それに対して権威の表現としてのつよい様式化が求められたということを意味する。礼教というものの発生した支那は、礼のみだされつづける社会事情であったことを語っている。
 支那古来の聖人たちは、いつも強権富貴なる野蛮と、無智窮乏の野蛮との間に立って彼等の叫びをあげてきた。「男女七歳にして席を同じゅうせず」しかし、その社会の一方に全く性欲のために人造された「盲妹」たちが存在した。娘に目があいてるからこそ客のえりごのみもする。見る瞳さえつぶせば、と盲目にして娼婦の営みをさせた。孔子の言葉は現実をどこまで改善しただろう。
 粤東(広東)盲妓という題の詩が幾篇もあって(支那女流詩講)、なかに、
亭々倩影照平湖    玉骨泳肌映繍繻
斜倚竹欄頻問訊    月明曾上碧山無
 魯迅の傷心の深さ、憤りの底は、云わばこういうところまでさぐり入って共感されなければならないものなのだろう。



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