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松と藤芸妓の替紋
まつとふじげいぎのかえもん |
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作品ID | 4054 |
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著者 | 三遊亭 円朝 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「圓朝全集 巻の二」 近代文芸資料複刻叢書、世界文庫 1963(昭和38)年7月10日 |
入力者 | 小林繁雄 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2005-11-15 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 94 ページ(500字/頁で計算) |
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一
今日より改まりまして雑誌が出版になりますので、社中かわる/″\持前のお話をお聴に入れますが、私だけは相変らず人情の余りお長く続きません、三冊或は五冊ぐらいでお解りになりまする、まだ新聞に出ませんお話をお聴に入れます。これは明治四年から六年まで、三ケ年の間お話が続きます、実地あったお話でございます。さて俗語に苦は楽の種、楽しみ極まって憂いありと申しますが、苦労をなすったお方でなければ只今、お楽になって入らっしゃるものはございません。大臣参議と雖も皆戦争の巷をくゞり抜け、大砲の弾丸にも運好く中らず、今では堂々たる御方にお成り遊ばして入らっしゃるのでございますがまだ開けません時分、亜米利加という処は何ういう処か、仏蘭西はどんな国だか分らない中に洋行をなさいまして、然うしてまた何うも船の機械も只今ほど宜く分っても居りませんでしたのに、危険を凌ぎ、風波を冒して大洋を渡りなど遊ばして苦心をなすったから、只今では仮令お役所へお出で遊ばさないでも、年金を沢山お取り遊ばすというのも、その苦労をなさいましたお徳でございます、だから余り楽をしようと思うと、却って是が苦しみになりますことで、私などは毎日喋って居りますから、ちと楽を為ようと思って、一日喋らずに居たら何うだろうというと、これが苦労の初まりで、一日黙って居るくらい苦しみはありません。何もそんなに黙って居るにも及びませんが、退屈でなりませんから、これは堪らぬ、ちとそろ/\表を歩いたら楽に成るだろうというと、これが苦しみの初まりで、最う寝足になって居りますから歩くと股がすくんでまいり、歩行が叶いませんから、そこらの車へ乗って家へ行ったら楽だろうと思って、車へ乗ると腰が痛くなって堪らないから、仰向に寝たらば楽になるかと思うと、疝気が痛くなったりしていけませんから、廊下へ出て躍ったら宜かろうというように、実に人は苦の初めを楽しむと云って、苦労の初めばかり楽しみますことを考えますものでございます。「瓶に[#挿絵]す花見ても知れおしなべてめづるは捨る初めなりけり」という歌の心は、詠めは誠にどうも総々とした此の牡丹は何うだい、宜いねえ水を上げたところは、と珍らしがって居りますが、長く活けて置けばばら/\と落ちて来ますから、あゝ穢ない打棄ってしまえと、今度は大山蓮華の白いのを活けこの花の工合はまた無いと云ってゝも、末になると黄色くなってぱら/\落ちますから捨てゝ、今度は秋草が宜いと云った所が、此れもそう何時迄も保ちは致しません、直に萎れてしまいますから[#挿絵]換るというように、世の中の事は此の通りでございます。マア何でも苦労をなさらんければいかんということで。これは松平肥後様の御家来で、若い中にさん/″\道楽を致し、青森県の方にお出でがありまして、ちょうど函館の戦争に出逢って危い処を免れ、よう/\の事で世界が鎮…